2010年09月19日

第6回トヨタカップ の記憶

 今回は第6回のトヨタカップですが、これには鮮烈な記憶があります。
 
 ヨーロッパ代表として、初めてイタリアのチームが来日しました。ユベントスです。
 そして南米代表は、アルヘンチノス・ジュニアースでアルゼンチンのチームが2年連続でリベルタドーレス杯を制してやってきました。

 アルヘンチノスはかつてマラドーナが在籍したチームです。

 その当時、マラドーナはイタリアのナポリ所属だったかと思います。

 そして来日したユベントスは将軍プラティニが10番をつけていました。

 前半は静かに幕を開け、スコアレスで折り返しました。

 そして先制はアルヘンチノスでした。
 また、今年も南米の勝利なのかと思いましたが、この年は違いました。

 PKを奪ったユベントスがプラティニのゴールで追いつきました。

 そこから、記録に残らない記憶に残る幻のゴールが生まれます。

 パスを受けたプラティニがボールタッチをして球を浮かせ、身を翻して放ったシュートはきれいなラインを描いてゴールに吸い込まれます。
 しかし、FWの誰かがオフサイドポジションにいたためにオフサイドと判定されてしまいます。

 グラウンドに寝転がって不満そうなプラティニが印象的でした。

 これが「生涯最高のゴールは東京」とプラティニが言ったという幻のゴールでした。

 この後、更に試合は白熱します。
 そしてアルヘンチノスの次のゴールは、これぞカウンターというべき電光石火のゴールでした。

 あっけにとられるとはこのことでした。

 しかし、ゲームはまだドラマを残していました。

 プラティニのスルーパスが通り、ラウドルップが角度のないところからゴールを決めたのです。

 守りに入った南米のチームから点を取れたのは正直、驚きでした。

 かくして、魔法のような鮮やかなプレーの数々を見せ付けるかのようなゲームは延長戦でも決着がつかず、PK戦にもつれ込みました。

 そしてTVの放送時間がなくなったのです。

 結果はユベントスの勝ちでした。

 これが私の生涯でクラブチームの対戦ではベストゲームでした。

 そしてついに日本で開催されるトヨタカップの栄冠はヨーロッパへともたらされたのでした。

 それよりもなによりも、私の中にはサッカーのすばらしさが刻み込まれたゲームでした。


 しかし、この激闘の前に、サッカーの歴史に残る出来事がありました。
 このユベントスが日本に来る前のヨーロッパチャンピオンズカップの決勝でイングランドのフーリガンが暴れて、死傷者を出す惨事となりました。

 これが原因でイングランドのクラブチームは国際試合が禁じられてしまうのです。

 イングランドに唯一許された国際試合はナショナルチームによるゲームだけとなりました。

 そしてこの環境の中であのリネカーは育っていくのです。


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ちょっと独り言

 この日、サッカーではなかったのですが、もうひとつの激闘と呼べるゲームがありました。

 関東と関西の大学チャンピオンが覇を競う、アメフト大学ナンバー1決定戦の甲子園ボウルです。

 このゲームも史上まれに見る激戦のシーソーゲームでした。

 好ゲームの得意日みたいなものでもあるのかと思うような1日でした。

 ちなみにこの明治大学対関西学院大学の勝者は関学でした。

 アメフトのQBもまたファンタジスタかもしれないと思わされるゲームでした。

 時折見せられる綺羅星のごとき、鮮烈な記憶を残すゲームがまた見たくて、私はまた見てしまうのです。
 
posted by appiy at 22:39| サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする