2009年06月07日

第2回トヨタカップ の記憶

 今回は第2回のトヨタカップですが、ほとんど覚えていません。
 南米が強いなあという印象しかなかったです。

 記録を調べるとジーコが来た年で、MVPはジーコでした。
 彼はあの時もらったセリカはまだ乗っているそうです。

 彼曰く「あれは、私にとってトロフィーと同じ」ということだそうです。

 ジーコ、黄金の中盤を支えたブラジル代表の10番を背負った男、彼の前で有名なのはペレですが、ペレからブラジル代表の10番を受け継いだのはリベリーノという選手だったらしいです。

 ペレはW杯に3度優勝しましたが、ジーコはついに1度も優勝できませんでしたが、彼自身チームの世界一タイトルはここで取っているわけですね。

 記録を書いておくと南米代表はフラメンゴ(ブラジル)でヨーロッパ代表はリバプール(イングランド)ですね。
対戦結果は3−0でフラメンゴの勝利でした。

 当時私はイングランドとイギリス(GB)の違いすらわかっていませんでした。
 イギリスと書くよりグレートブリテンと書いたほうが正確なのでしょうけど、イングランド、ウェールズ、アイルランド、スコットランドはラグビーとサッカーにおいては違う国となっていたのですね。

 で、当時のイングランドはヨーロッパでは強かったようです。とにかく速いというのがイングランドのサッカーの特徴でした。
 だから、トヨタカップの構図はイングランドのチームが連続して出ていた第3回までは、技対速さという構図だったように思えます。

 この技が速さを制したといえるかなと思えます。

 この時私は、単純に速いだけではダメなのだと思っていたのですが、この速いは恐ろしいほど凄いということは後々サッカーを知るたびに思っていくのですが、まだこのときはやっぱり技だなあと思っただけでした。

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ちょっと独り言

 速いが如何に凄いことなのか教えてくれたのはイングランド代表のリネカーという選手でした。
 サッカーの世界においてカウンターという速攻戦術がどれだけ凄いことか教わりました。

 チーム戦術、個人技、フォーメーションなど何かを有利にするための戦術の数々を知るのはもっと後のことです。
 ただひとつ、問答無用のストライカーだけは、どの時代においても必要不可欠ではあるような気がします。

 かつて日本には釜本というストライカーがいました。
 キーパーを壊したとか、いろいろありましたが、それ以降点の取れるフォワードは出現していますが、世界に通用するストライカーは日本にはまだ出ていないような気がします。

 日本的ではないのかもしれませんが、できればまたそんなストライカーが日本に現れてくれないかなと思う私でした。

posted by appiy at 18:52| Comment(1) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんちは〜。
サークルKサンスク限定、京商ロータスF1発売については連絡しようかなーって思ってました。
78、79は絶対欲しい所だよね。
79のメインスポンサーは君関係だったよね?
Posted by ドルフィン at 2009年06月20日 19:36
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