2006年09月24日

M.アンドレティの記憶

 さて、今回は78年のワールドチャンピオンのM(マリオ).アンドレティです。
個人的には私はこの人のファンです。

 M.アンドレティはインディ500マイルとF−1のワールドチャンピオンになった男である。
 彼の個人記録としていまだ破られていないものはF−1のデビュー戦でいきなりポールポジションを取ったことであろう。

 彼の乗る黒いJPSカラーのロータスの記憶はいまだ私の中に鮮烈に輝きを放っている。

 77年ロータスが作ったロータス78は名車であった。彼はこのマシンで何勝かを上げたがチャンピオンには届かなかった。
そして78年の途中でウィングカーと呼ばれるロータス79がデビューする。

 このマシンは早かった。グランドエフェクトと呼ばれるマシンを地面に押し付ける効果をフルに発揮したこのマシンはものすごい速さを誇り、僚友R.ピーターソンとともにM.アンドレティは勝ち星を上げていく。

 そして、イタリアグランプリ、モンツァで悲劇が起こる。R.ピーターソンが事故で命を落としたのだ。
 この結果、M.アンドレティのチャンピオンが確定した。

 この年のロータス79より速く走れたのはブラバムのファンカーだけであったが、ファンカーは禁止され、ブラバムの巻き返しもならなかった。
そしてウイングカーも何年か後には禁止される。

 僚友の死でチャンピオンになったのは不幸な出来事であった。
 この78年以降、ホンダエンジンを得てセナが乗るまでロータスは1勝しか上げることはできなかった。

 マリオ・アンドレティの息子マイケル・アンドレッティもF−1で走ったが戦跡としては優れてはいなかった。
 しかしマイケル・アンドレッティがアメリカのレース界に残したものは大きい。だがF-1とは水が合わなかったようだ。
しかし、孫がF−1デビューする可能性があり、この家の最速の遺伝子が受け継がれていくのは私の楽しみでもある。

 79年以降ロータスが勝ちに恵まれなったのは悲劇だった。C.チャップマンもこの世を去り、彼の残した自動車メーカーのロータスはいまだに健在だが、F−1チームはもう存在しない。
あの黒に金の線のカラーリングは私の中でもっともカッコイイものとして刻み込まれている。

 M.アンドレティは以降、勝ち星には恵まれず、フェラーリのドライバーを勤めたりもしたが、F−1界を去る。

 しかし、アメリカに戻ってからCARTシリーズでチャンピオンを取るなど、その速さは失われていなかった。
 息子とアメリカのトップフォーミュラーで競い合った者など、数えるほどしかいない。
 アンサー家とアンドレティ家はアメリカの生きる伝説なのだ。

 タバコメーカーの締め出しによりあのカラーリングが永遠に失われた事を悟って私は悲しかった。

 ロータスとM.アンドレティは私にとっていまだカッコイイ物の象徴である。
posted by appiy at 22:28| Comment(3) | TrackBack(0) | F-1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
先日、オークションでロータス78・JPS仕様を落札(商品到着はまだ)。
ついにアンドレッティがウチに来るよ〜。77年に富士で見たあのマシンだヨぉ〜!
Posted by 二天 at 2006年10月24日 18:42
ロータス78が・・・いいなあ。
ニルソンの赤いロータスがあったらそれも凄いけどねえ。
 アンドレッティのマシンだから大事にしてね。
 また伺います。
Posted by appiy at 2006年10月30日 00:02
アンドレッティと言えば「JPSロータス」。
先日放送のドラマ『セクシーボイス&ロボ』第3話で、主人公の女の子が「JPSロータス」(ユニオンジャック半分付き)のTシャツを着ていて目を奪われてしまった。
今でも売ってるのかなぁ。欲しいなぁ。
Posted by ドルイフィン at 2007年04月28日 20:39
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