2017年03月04日

DAZNでJリーグを見る



 F-1のために入ったDAZNであるが、Jリーグが全試合中継されることになった。

 早速、応援する清水エスパルスの開幕戦を夕方になってから見たのであった。
 何かトラブルがあったようだが、試合後の視聴には影響はなかったようである。

 さて、大前君のいなくなった清水はもうひとつ怖さのない攻撃力という感じであったが、守備はそれなりに機能していたので、良くはないが悲惨な状況でもないというところだろうか。
まだ1点も取っていないので、評価は出来ないが、嫌がられるようになってほしいものである。

 見たいものをこうして見られるようになって行くのは非常によいことである。

 F-1も開幕するし、今年はTVを見る時間をどう捻出するか考えないとならないようである。

 しかし、期待する結果が得られないとモチベーションが維持されなくなっていく。
応援するチームには良い結果を出してほしいものである。

 金がないチームが強くなる方法はビジョンにおいて他チームに勝る必要がある。
今の強さと、明日の強さ、1年後の強さ、3年後の強さ、これらをどうやって作っていくか。そのために今をどう使うかである。

 確かに今、勝てないのはまずい。しかし、今と未来の両立にはビジョンがいる。
金がないから弱くてもいいのではない。そこに期待するドラマはない。

 面白くする工夫は無限に出来るはずだ。そこには限界なんてないはずである。
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2017年02月11日

AFC チャンピオンズリーグが始まった


 サッカーのクラブチームのアジアチャンピオンを決める戦いが始まった。
ガンバ大阪がプレーオフを勝ち抜き、本戦入りを果たしたので、ここから真のチャンピオンを決める戦いが始まる。

 昨年、鹿島はクラブワールドカップに開催国枠で出場した。アジアチャンピオンとして日本のチームは久しく参加できていないのである。
理由のひとつは日程である。

 日本ではシーズンオフ中にチャンピオンズリーグが始まってしまうからである。
 これゆえ、最初のリーグ戦を勝ち抜くのが困難になっている。

 もうひとつは、Jリーグのチームの金のなさである。国内のゲームと国際試合を勝ち抜くだけの選手層の厚さがなく日程が密になると不利になってしまうのである。

 とはいえ、流行り廃れのあるような金の集め方では、恒久的な強化などままならない。

 Jリーグチームの金の集め方として、ホームゲーム数を増やすのが良いと思う。日程の問題はあるが、J2選抜やJ3選抜がJ1リーグのチームと試合をしてまわると面白そうである。
これをシーズン前にやって、AFC対策にもなるし、J2やJ3選手の露出度を上げるのにも役に立つし、J1リーグチームの収入にもなる。

 他に日本代表が、数年掛けてJ1チームとゲームをするのも悪くない。

 国内で、客を呼べるカードを増やし、収益力を上げるのにいろいろな案があって良いと思う。

 まずはゲームを面白く。次に二次的な収入も増やしていく。日本的に根付かせて金を稼ぐチーム作りが必要だと思う。

 サッカーで稼げるようにならないと、やはりその国の代表は強くなれない。
他の国とは違ってもいい。日本的なもので世界に挑むのが日本らしくていいと思う。


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2016年12月24日

日本サッカーが問われた日


 鹿島アントラーズがレアル・マドリードに挑戦し、勝っちゃうんじゃないかと思える試合をした後、鹿島の選手は皆、悔しがっていた。

 本気で勝とうとしたからこその悔しさがそこにあった。

 この日、日本サッカーは恐らく最も世界一に近づいた。

 日本サッカーが歩みを始めてからいくつかの大きな出来事(japaner-japaner-japanerやメキシコ五輪の3位決定戦での勝利など)を経て、ここまで来たと思わせてくれたことに感謝したい。

 本当に日本がサッカー大国になるにはサッカーが文化として根付いてくれないとならない。

 ここまで来た道のりは平坦でもないし、正しかったものだけでもない。
それでもここまで来たの事実である。

 鹿島アントラーズの選手にありがとうと伝えたい。

 そして日本のサッカーチームが世界一になるまでがんばって盛り上げていきたいものである。

 ここまで来たのだ、ここまできたらJリーグに加盟する全チームに世界一になるプランを作ってもらいたい。
我々は問われたのだ。答えを出していく義務がある。

 世界に答えていこう。我々はもっと強くなって帰ってくると!

 自分にも何か出来ないか考えていくことにしよう。

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2016年11月26日

清水エスパルスがJ1昇格を決めた


 この1年にそこまで期待していなかった。しかし終盤の9連勝が奇跡を呼び、大逆転で2位となって昇格を決めた。
再び落ちることがないように頑張ってもらいたいものである。

 金がないなら徹底的に金を掛けない方針でいくしかない。
 ユース世代に次々とトップリーグを経験させ、J1の試合に使う方針で行ってもいいと思う。

 良い選手を呼べないなら、良い選手を作り続けるしかない。
 結果、移籍金0で出て行ってしまうとしても、作り続ければ良いのである。

 とにかく、勝ち数を多くして試合数を増やすことが肝要である。ホームゲームの数は収入に非常に効く。
人気を作るためにはいろいろな手を打たねばならないがまず、若くても世界で通用する選手をどんどんプロのレベルを経験させることである。

 J1がゴールではない。世界一を目指してほしいのである。
 そのためには世界基準の育成が必要なのである。

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2016年10月22日

清水エスパルスがJ1に上がる条件を見てみた


 2016年10月22日に至って、私の応援するエスパルスはJ2の4位に位置している。

 このままいけばプレーオフ圏内であり、この順位で終わればプレーオフを勝ち抜けばJ1に復帰できる。
J2にきてエスパルスは割と上に弱く下に強い傾向が顕著である。

 強いチームだけで戦うプレーオフを勝ち抜けるかは難しいと思わざるを得ない。
どうせなら2位まで上がれればと思うが、難しいかもしれない。

 エスパルスは金銭的に裕福なチームではない。トップチームを強くすることも良いが、ここはひとつユースチームを世界的なレベルまで強くすることを考えてみてはどうかと思っている。
日本一とか言わないで世界一の選手を育成する仕組みを考えてほしい。高いレベルの選手を輩出する仕組みがあればトップチームは必然的に強くなる。

 金銭的に裕福ではないので、選手の流出も止められないだろう。
 しかし育成を続けていけば、日本全体のレベルアップにつながる。トップリーグのレベルが上がれば、日本代表も強くなる。
ただ、Jリーグの試合をこなすのでは何かが足りない。

 我々は弱いという言葉がそぐわないなら、まだ世界トップクラスとは言えない。
 ならどうやって世界に追い付くのか。全クラブがそれを意識すべきである。

 金がないのであれば、知恵を絞る方向でいかないとならない。
 不利だし困難なのは当然である。

 だがサッカーは日本一の向こうに世界一を見ることができる競技である。
 そこまで上がって行けるのである。

 だからどこまでもひたすら強くなってほしいのである。

 エスパルスには世界一まで行ってもらいたいのである。
それが私の願いである。

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2015年10月10日

第10回トヨタカップ の記憶


 今回は第10回のトヨタカップですが、実際の試合の記憶はほとんどありません。。
 
 ヨーロッパ代表は、イタリアのチーム、ACミランが来日しました。

 そして南米代表は、コロンビアのナシオナル・メデリンでした。

 記録は1−0で、延長の末ACミランが勝利しています。

 当時のACミランはフリット、ライカールト、ファンバステンのオランダトリオが活躍するナンバー1チームでした。
 
 ほとんどの選手がナショナルチームに属するオールスターチームでした。

 ミランバリアと呼ばれる堅い守備とオランダトリオを中心とする攻撃陣で文句のつけようがないチームだったと思います。

 こういうドリームチームが見られるのはトヨタカップが日本で開催されていてよかったと本当に思った私でした。


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ちょっと独り言

 当時のオランダはタレントとしては世界一のチームだったのではないかと思います。

 ワールドカップとは未だ縁のないオランダですが、この国は自国のリーグより他国のリーグで活躍する選手が一線級でした。
 自国のリーグより他国のリーグで活躍する選手たちが前年のヨーロッパチャンピオンをオランダにもたらしました。

 最近の日本は、ヨーロッパのサッカーを肌で感じた選手たちで代表が構成され、更なる飛躍を期待せずにはいられませんが、Jリーグのレベルが低いわけではないと思います。
 リーグのレベルはまだトップには及びませんが、サッカーだけで食べていける時代が来て、これから第二世代が世に出て行きます。

 期待して見守りたいですね。
  
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2015年10月03日

Jリーグで弱いチームを強くするには


 金のないチームを強くするのは困難である。育った選手も契約切れのタイミングで移籍されては移籍金も入らない。

 Jリーグの移籍はこれしかないと言っても過言ではない。
これはだめだ。弱いチームの人材流出を止めるすべはない。

 何が必要なのだろうか。

 こうなったら、徹底的にユースとかもっと下のカテゴリーの人材育成に集中するのがいいのではないかと思う。
 ユースの選手を交代でトップで使って、トップの選手の人数を減らし、その分給料は上げる。

 成績はしばらくは振るわないかもしれないが、ユース世代が育ったところで長期契約をトップ選手としてするのである。
トップリーグで当たり前のように戦ってきたユース選手は世界に出るチャンスも得られるかもしれない。
 才能は水物だが挑まねばなるまい。

 どうせなら、トップリーグのチームより強いユースチームを作るぐらいの志がほしいというところだろうか。
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2015年09月26日

ナショナルチームとクラブチーム


 日本代表が強くなるには、クラブチームの強さが重要である。
 Jリーグのチームがアジアで勝つのは簡単ではない。本当に強いチームというのはどういうチームなのかと考えさせられてしまう。

 ナショナルチームはアジアでは、苦戦はするがまあ、最後には何とかなる感覚で見ているここ最近だが、クラブチームが海外で戦うのはやはり難しいのかもしれない。

 やはりビジョンとして、日本一と共に世界一を目指すチームのビジョンがあってもいいと思う。
 もちろんお金もかかるし、現実的には厳しいと言わざるを得ない。

 だが、折角世界一になるまでの道筋が出来たのである。
ヨーロッパや南米のチャンピオンに挑戦するのではなく、相手を破って世界一になってもらいたいものである。

 世界一になるためには、世界基準でチームを作らねばならない。世界で通用する選手を育て、世界に通用する戦略で戦い、世界の強豪相手にも勝利をつかむ戦いをするのである。
 弱いチームが強くなるのも大事だが、強いチームには世界一まで目指してもらいたい。

 しかし、そうなるとお金がいる。そのお金はどこから持ってくるのかということである。
 Jリーグ間の移籍でお金は動かないが当たり前になってしまったので、外国人枠を撤廃してはどうだろうか。

 別にヨーロッパの有名選手を呼ぶ必要はない。アジアや南米から安くて上手くて強い選手を引っ張ってくるのである。特にアジアからは、スポンサーを同時に引っ張ってくる。
それで戦うのである。日本人は厳しくなるが、J3がJ4まで作って予備軍の確保はしてもよい。

 その国のヒーロー的存在が日本でプレーすれば、色々な経済効果が生まれる可能性がある。
 中東の選手が日本でプレーするのも悪くない。

 戦うには地力を蓄えなければならない。選手だけ良ければなどというものは国際的な戦いではありえない。
だとしたら、どの国に行ってもその国に所属する選手がいて、戦いやすい環境が作りやすいとなれば、勝利に近づきやすい。

 これが現実的かどうかはともかくとして、こうしたアイデアを出していくことが必要だ。

 とにかくフィールドの外の戦いを国際基準で強化することが、日本を真のスポーツ大国にすることなのだと思う。


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2015年06月13日

Jリーグに思う2


 金のないチームにJリーグの優勝は無理という状況になってしまったと最近感じている。

 移籍金がほとんど動かないJリーグの現状では、有力選手が流出してチームには金が入らないということになるので、良い選手を育て続けて金を得てチームを強くする戦略がなりたたない。

 これが成功したリーグの姿だろうか。
 何かが違う。

 では、スポンサーとなる企業に何のメリットがあるのだろうか?
 単なる宣伝費という位置づけでは、やはり下位のチームは露出が少なくどうにもならない。有力選手の流出も止められず金も入らず、スポンサーもつかないのでは、どうにもならない。

 その意味でまだサッカーは日本の文化になっていないのだろう。

 サッカーのゲームのある日は一日楽しめるお祭りのような企画の中でメインイベントにサッカーがあり、試合前から試合後まで一日地元の方々やサッカーファンの方を楽しませて、よりお金を地域に落としてもらうような仕組みは作れないだろうか。
サッカーはサッカーだけで成り立っているのではない。地域密着型の金集めまでも勝負事のひとつである。
 ならサッカー部門とイベントなどの金を稼ぐ部門を分けて持たねばならないだろう。

 スタジアムに来てくれる人も大事だし、来られなかった人も大事にしてなおかつちゃんとお金を稼ぐべきだ。
 サッカーだけではだめだ、金集めもこの勝負のうちなのだと考えて戦わねば本当に強いチームとはいえないのだと私は考える。
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2015年05月31日

Jリーグに思う1


 いつからか、Jリーグでは移籍金0の移籍ばかりになってしまった。
 これでは、弱いチームが育てた選手が、チームに金を落としてくれないのでサッカー界の常識が日本では通用せず、弱小チームは金も得られず、選手の流出が止められないことになる。

 海外から見るとJリーグは成功しているということらしい。
 しかし、海外と日本の違いはサッカーで動く金の量が歴然と違う。

 この違いが埋まらない限り、日本が真のサッカー大国になる日は来ないだろう。

 つくづくスポンサーというのは何なのかと考えさせられる。
あくまで宣伝という位置づけならそこまでの話である。

 ジャストシステムと阿波踊りの関係を存じている人はいるだろうか。
 あれこそが地域密着型の出資というものである。

 企業は地域に金を落とす。地域の住民はその企業の心意気に応える。この関係が日本では成り立たない。
何故かといえば、地域に対する思い入れが海外のそれとは大きく異なるのである。

 文化が違うといえばそういうことだが、ならこの文化の中でサッカーが育つ仕組みを考えねばならない。
そう思うのは私だけだろうか。

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2012年05月06日

第9回トヨタカップ の記憶

 今回は第9回のトヨタカップですが、これの記憶はほとんどありません。。
 
 ヨーロッパ代表は、初めてオランダのチーム、PVSアイントフォーヘンが来日しました。

 そして南米代表は、ウルグアイのナシオナル・モンテビデオでした。

 記録は2−2で、PK戦になったようですが、延長でも点を取り合ってのPK戦ですから、なかなかの好ゲームだったはずですが覚えていません。 


 ただ記憶に残っているのはローマリオではなく、クーマンという選手です。
 彼はチームを変えて2度トヨタカップに出ています。

 ロマーリオとクーマンのゴールも実らず、PKの末敗れたアイントフォーヘンですが、クライフの後オランダが強豪国であることを示し続けてくれていました。

 まあ記憶も定かでない回はこの程度で。

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ちょっと独り言

 この年は88年、ヨーロッパ選手権を制したのはオランダでした。
 日本はというと、高校サッカーでは東海大一が二連覇を逃し、国見が優勝した年です。
 この年、日本はアジアカップに初出場(本戦)しました。
 結果はグループリーグ最下位で1勝も挙げられませんでした。
 日本サッカーの浮上はもう少し先の話です。

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2011年02月13日

第8回トヨタカップ の記憶

 今回は第8回のトヨタカップですが、これも覚えています。
 
 ヨーロッパ代表として、初めてポルトガルのチーム、FCポルトが来日しました。アフリカの星と呼ばれたマジェールという選手が活躍していたチームでした。

 そして南米代表は、二度目の来日となるウルグアイのペニャロールでした。1882年のトヨタカップで来日し、イングランドのアストン・ヴィラを破ってタイトルを手にしています。

 この試合の記憶は、鮮烈なものが2つあります。
 そのひとつが、雪だったのです。

 朝起きて、あまりの寒さに窓を開けると、雪が積もっていました。
 12月に東京地方に雪が降ったのは非常に珍しいことでした。

 で、なのに、ヨーロッパ代表は雪の降らないポルトガルのチームでした。

 余談ですが、確かラグビーはその日、早稲田−明治の一戦が行われたと記憶しています。

 なので、まったく予想がつかないゲームとなりました。


 ゲームは両者とも雪の中での対戦に、様子を見ながらという感じだったと記憶しています。

 先制はポルトでした。前半42分と記録にはあります。
 実はこれ、第8回にして、ヨーロッパのチームが始めてリードした瞬間でした。
 プラティニの幻ゴールが認められていれば別ですが、公式には日本で行われるようになって初めてヨーロッパのチームがリードしたのです。

 試合はこのままでは終わりません。ペニャロールが追いついたのは80分とありますから、後半の35分ですね。
 日本で行われたトヨタカップで1点も取れなかった南米のチームはいません。今回もつながりました。

 そして試合は延長戦にもつれ込みます。

 マジェールのヒールシュートがゴールに吸い込まれた瞬間のアナウンサーの絶叫が今もこびりついています。

 そして、ポルトが勝ったのです。

 PKではない初めてのヨーロッパ勢の勝利でした。

 確か、雪のないところでこのゲームの再戦が企画された話を新聞で見ました。
 結果はどうだったのか、私は知りませんが・・・。 どなたかご存知でしょうか?


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ちょっと独り言

 この年は87年、日本サッカーはW杯出場を逃し、日本代表は苦しんでいました。

 奥寺、尾崎はドイツのブンデスリーガで戦っていたのですが、あまり知られていませんでした。

 当時、多くの国の人は日本人がサッカーをしているとは知らなかったかもしれません。

 世界への扉をこじ開けていく息吹はこのあたりから、聞こえてきたと今にしてではありますが、思っています。

  
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2010年10月11日

第7回トヨタカップ の記憶

 今回は第7回のトヨタカップですが、これは少し覚えています。
 
 ヨーロッパ代表として、初めて東欧のチーム、ステアウア・ブカレストが来日しました。ルーマニアのチームです。
 そして南米代表は、3年連続でアルゼンチンのチームがリベルタドーレス杯を制してやってきました。リバープレートです。


 注目すべき選手はリバープレートのフネスでした。
 彼はちょっと太ったマラドーナみたいな印象の選手でしたが、巧い選手でした。

 対するステアウアも非常に細かなパスを巧くつなぐチームでした。
 特にヒールパスが多かったのが印象的です。

 つまりテクニック系の対戦になったわけです。

 ただし、巧いといっても両者には違いがありました。
 組織と個人の集まりの違いで、相手の想像力を超えるプレーはやはり南米にありました。

 結局、リバープレートが先制して逃げ切るという形になりました。

 巧さと強さの違いが出たようなゲームでした。

 とにかく巧いという両者の対戦だったという記憶です。



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ちょっと独り言

 この年は86年、メキシコW杯の年でした。

 ヨーロッパサッカーの中心はイタリアにありました。

 マラドーナ、プラティニ、ルンメニゲ等のスター選手はみんなイタリアにいたのです。

 この年、優勝したのはアルゼンチンだったのは以前書きました。

 日本は韓国に勝てば出場できたW杯でした。
 
 マラドーナの大活躍で優勝したアルゼンチンでしたがその道のりは険しく、厳しい戦いを制して勝ちあがりました。

 スーパースターの時代と呼ばれた時代でした。
 
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2010年09月19日

第6回トヨタカップ の記憶

 今回は第6回のトヨタカップですが、これには鮮烈な記憶があります。
 
 ヨーロッパ代表として、初めてイタリアのチームが来日しました。ユベントスです。
 そして南米代表は、アルヘンチノス・ジュニアースでアルゼンチンのチームが2年連続でリベルタドーレス杯を制してやってきました。

 アルヘンチノスはかつてマラドーナが在籍したチームです。

 その当時、マラドーナはイタリアのナポリ所属だったかと思います。

 そして来日したユベントスは将軍プラティニが10番をつけていました。

 前半は静かに幕を開け、スコアレスで折り返しました。

 そして先制はアルヘンチノスでした。
 また、今年も南米の勝利なのかと思いましたが、この年は違いました。

 PKを奪ったユベントスがプラティニのゴールで追いつきました。

 そこから、記録に残らない記憶に残る幻のゴールが生まれます。

 パスを受けたプラティニがボールタッチをして球を浮かせ、身を翻して放ったシュートはきれいなラインを描いてゴールに吸い込まれます。
 しかし、FWの誰かがオフサイドポジションにいたためにオフサイドと判定されてしまいます。

 グラウンドに寝転がって不満そうなプラティニが印象的でした。

 これが「生涯最高のゴールは東京」とプラティニが言ったという幻のゴールでした。

 この後、更に試合は白熱します。
 そしてアルヘンチノスの次のゴールは、これぞカウンターというべき電光石火のゴールでした。

 あっけにとられるとはこのことでした。

 しかし、ゲームはまだドラマを残していました。

 プラティニのスルーパスが通り、ラウドルップが角度のないところからゴールを決めたのです。

 守りに入った南米のチームから点を取れたのは正直、驚きでした。

 かくして、魔法のような鮮やかなプレーの数々を見せ付けるかのようなゲームは延長戦でも決着がつかず、PK戦にもつれ込みました。

 そしてTVの放送時間がなくなったのです。

 結果はユベントスの勝ちでした。

 これが私の生涯でクラブチームの対戦ではベストゲームでした。

 そしてついに日本で開催されるトヨタカップの栄冠はヨーロッパへともたらされたのでした。

 それよりもなによりも、私の中にはサッカーのすばらしさが刻み込まれたゲームでした。


 しかし、この激闘の前に、サッカーの歴史に残る出来事がありました。
 このユベントスが日本に来る前のヨーロッパチャンピオンズカップの決勝でイングランドのフーリガンが暴れて、死傷者を出す惨事となりました。

 これが原因でイングランドのクラブチームは国際試合が禁じられてしまうのです。

 イングランドに唯一許された国際試合はナショナルチームによるゲームだけとなりました。

 そしてこの環境の中であのリネカーは育っていくのです。


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ちょっと独り言

 この日、サッカーではなかったのですが、もうひとつの激闘と呼べるゲームがありました。

 関東と関西の大学チャンピオンが覇を競う、アメフト大学ナンバー1決定戦の甲子園ボウルです。

 このゲームも史上まれに見る激戦のシーソーゲームでした。

 好ゲームの得意日みたいなものでもあるのかと思うような1日でした。

 ちなみにこの明治大学対関西学院大学の勝者は関学でした。

 アメフトのQBもまたファンタジスタかもしれないと思わされるゲームでした。

 時折見せられる綺羅星のごとき、鮮烈な記憶を残すゲームがまた見たくて、私はまた見てしまうのです。
 
posted by appiy at 22:39| サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月19日

第5回トヨタカップ の記憶

 今回は第5回のトヨタカップですが、これもほとんど覚えていません。
 
 ヨーロッパ代表はまたしてもイングランドのチームでリバプールでした。第2回のトヨタカップに続く来日で、5年間で4度イングランドのチームがヨーロッパチャンピオンズカップを制していたことになります。
 この翌年、ちょっと事件があって、それがきっかけとなって、イングランドのチームは第20回まで来日しません。
 黄金時代のイングランドではありました。
 南米代表はインディペンディエンテというアルゼンチンのチームでした。アルゼンチンのチームはトヨタカップでは初来日です。
 ウルグアイとブラジルが交互にきていたのですが、ついにアルゼンチンのチームがリベルタドーレス杯を制してやってきました。

 結果は1−0でインディペンディエンテでした。
 イングランドのチームは第5回までに4回来て、すべて無得点でした。

 南米勢はうまくてずるく勝利を求める。ヨーロッパ勢は強さを求める。そんな印象でしょうか。
 しかし、イングランドの速さはヨーロッパを制することができても、南米勢には通用しませんでした。

 W杯メキシコ大会で得点王になったリネカーが言っていましたが、イングランドには緻密な作戦はなかったと。彼は移籍してイングランドを出て緻密な作戦に始めて触れたのだということです。

 速さだけでは通じないと言い切るのはちょっと無理があります。
 それはトヨタカップは南米はシーズンオフにあたり、ヨーロッパはシーズン中にあたります。

 一発勝負で公平に思えますが、強行日程のヨーロッパ勢の不利は否めないところでしょうか。

 それでもいつになったら、ヨーロッパのチームが勝つのか、私の期待はそんなところでした。


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ちょっと独り言

 日本では、プロリーグが無いころでした。プロ契約する選手が出始めた時期です。

 日本サッカーは、ワールドカップまであと一歩まで行きながら、再び低迷していきます。

 日本サッカー浮上のきっかけは選手のプロ化だけでは足りなかったのです。

 それでも私はいつか日本が世界に上がっていくことを夢見ていました。

 まあ、そんな時代でしたね。
 
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2010年05月05日

第4回トヨタカップの記憶

 今回は第4回のトヨタカップですが、これもほとんど覚えていません。
 初めてドイツのチームであるハンブルガーSVというチームが来日して、日本で開催されたトヨタカップで初めてヨーロッパ代表が得点を取った試合ではあったのですが・・・。


 ヨーロッパ代表はドイツ勢でハンブルガーSVというチームでした。
 南米代表はグレミオというブラジルのチームでした。

 結果は2−1でグレミオでした。しかし延長戦までもつれる試合となりました。

 4回までやって南米はウルグアイとブラジルのみ、ヨーロッパは、イングランドとドイツ(当時は西ドイツ)のみでした。
 サッカーの勢力図は当時こんなだったのかもしれません。

 第6回大会までは、イングランドのクラブチームは強かったのです。
 そこで、ひとつの転機がヨーロッパには訪れるのですが、それはまたの機会にしましょう。

 とにかく、南米が相変わらず強いなあという感じでした。
 いつになったら、ヨーロッパのチームが勝つのか、私の期待はそんなところでした。


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ちょっと独り言

 日本では木村選手が日本で初めてプロになった頃でした。
 海外に渡ってプロになった選手はいましたが、日本でプロ契約できたのは木村選手が最初です。

 日本のサッカーがW杯を目指して国立競技場をフルハウスにしたことは、日本サッカーのプロ化へとつながったのでした。
 日本のプロサッカーへの大きな道しるべが、木村選手の伝説のフリーキックだったのかもしれません。

 あの時も日本は韓国に敗れてW杯を逃しました。

 韓国はすでにプロ化されていました。

 まあ、そんな時代でしたね。
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2009年06月20日

第3回トヨタカップ の記憶

 今回は第3回のトヨタカップですが、これもほとんど覚えていません。
 南米が強いなあという印象しかなかったです。

 ヨーロッパ代表は3年連続でイングランド勢でアストン・ビラというチームでした。
 南米代償はペニャロールというウルグアイのチームでした。

 結果は2−0でペニャロールでした。

 3回までやって南米、ヨーロッパ合わせて3カ国のチームしか見ていないのですが、ウルグアイが強かったのですね。

 確かにワールドカップで南米勢で優勝を経験しているのはブラジル5回、ウルグアイ2回、アルゼンチン2回ですから強豪国だったわけです。

 しかし、ヨーロッパ勢は見事なまでに点が取れません。
 後でわかったことですが、ヨーロッパ勢はシーズンの途中で、この1戦に合わせて早くから来日して来る南米代表には利があったようです。

 に、しても3年やってヨーロッパ勢が無得点というのは、どうなのかと思ってしまっていた私なのでした。

 ワールドカップも見るようになって、少しずつサッカーの知識が増え始めたころでした。

 この年のワールドカップで、西ドイツのファンになった私としては、まだまだ駆け出しのサッカー好き程度でしたね。


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ちょっと独り言

 この頃から中盤という言葉を覚えました。

 HBでなくてMFという言葉も覚えました。

 うーむ、センターフォワードは相変わらずですが、インナーが左右にいて、ウイングも左右にいて、ハーフバックが3名、フルバックが2名、ゴールキーパーが1名などと覚えていたのですが、これはもう古すぎる記憶と言えるでしょうね。

 その意味では中盤ってなかったよなあ・・・。
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2009年06月07日

第2回トヨタカップ の記憶

 今回は第2回のトヨタカップですが、ほとんど覚えていません。
 南米が強いなあという印象しかなかったです。

 記録を調べるとジーコが来た年で、MVPはジーコでした。
 彼はあの時もらったセリカはまだ乗っているそうです。

 彼曰く「あれは、私にとってトロフィーと同じ」ということだそうです。

 ジーコ、黄金の中盤を支えたブラジル代表の10番を背負った男、彼の前で有名なのはペレですが、ペレからブラジル代表の10番を受け継いだのはリベリーノという選手だったらしいです。

 ペレはW杯に3度優勝しましたが、ジーコはついに1度も優勝できませんでしたが、彼自身チームの世界一タイトルはここで取っているわけですね。

 記録を書いておくと南米代表はフラメンゴ(ブラジル)でヨーロッパ代表はリバプール(イングランド)ですね。
対戦結果は3−0でフラメンゴの勝利でした。

 当時私はイングランドとイギリス(GB)の違いすらわかっていませんでした。
 イギリスと書くよりグレートブリテンと書いたほうが正確なのでしょうけど、イングランド、ウェールズ、アイルランド、スコットランドはラグビーとサッカーにおいては違う国となっていたのですね。

 で、当時のイングランドはヨーロッパでは強かったようです。とにかく速いというのがイングランドのサッカーの特徴でした。
 だから、トヨタカップの構図はイングランドのチームが連続して出ていた第3回までは、技対速さという構図だったように思えます。

 この技が速さを制したといえるかなと思えます。

 この時私は、単純に速いだけではダメなのだと思っていたのですが、この速いは恐ろしいほど凄いということは後々サッカーを知るたびに思っていくのですが、まだこのときはやっぱり技だなあと思っただけでした。

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ちょっと独り言

 速いが如何に凄いことなのか教えてくれたのはイングランド代表のリネカーという選手でした。
 サッカーの世界においてカウンターという速攻戦術がどれだけ凄いことか教わりました。

 チーム戦術、個人技、フォーメーションなど何かを有利にするための戦術の数々を知るのはもっと後のことです。
 ただひとつ、問答無用のストライカーだけは、どの時代においても必要不可欠ではあるような気がします。

 かつて日本には釜本というストライカーがいました。
 キーパーを壊したとか、いろいろありましたが、それ以降点の取れるフォワードは出現していますが、世界に通用するストライカーは日本にはまだ出ていないような気がします。

 日本的ではないのかもしれませんが、できればまたそんなストライカーが日本に現れてくれないかなと思う私でした。

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2009年05月03日

第1回トヨタカップ の記憶

 久しぶりにサッカーの話題を書こうと思います。

 ワールドカップは82年から書いていますが、トヨタカップは80年、正確には81年の2月だったそうです。
 サッカーといえば日本はメキシコオリンピックが語り草で、その後、日本のサッカーは低迷していました。

 それが突然、世界一決定戦が日本で開かれる。
 日本テレビの特集か何かを見たのがきっかけで、これは見なくてはと思ったのを覚えています。

 勝ったのは南米のチームだったのを記憶していました。
 調べてみると、ナシオナル・モンテビデオ(ウルグアイ)が、ノッティンガム・フォレスト(イングランド)に1−0で勝っていました。

 高校サッカーを見る程度だった私にとっては、はじめて見る世界のサッカーでした。
 思えばこの頃からサッカーの凄さに魅せられていると思います。

 まだ、このときはその本当の凄さがわかっていなかった私でした。

 奥寺と尾崎がドイツで活躍していた頃です。

 何故日本で、サッカーの世界一決定戦が開かれるのか。
 ヨーロッパの歴史の教科書には、サッカーの母国はイングランドですが、サッカーの起源は日本の蹴鞠であると載っていた事にも寄るのでしょうか。

 その時の記憶は、曖昧で、ハーフタイムショーで蹴鞠が公開されたと記憶しています。

 私の原点は高校サッカーのテレビ観戦でしたが、本当に魅せられたのはここからだったのではないかと思っています。

 独り言のような第1回の記憶です。


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ちょっと独り言

 この年、この日一日は世界のサッカーの中心は日本だということが少し嬉しかった私です。

 この後、奥寺のいたブレーメンがブンデスリーガを制すかと思われた年がどこかであったのですが記憶が曖昧です。
 あの年、もしブレーメンがチャンピンズカップに進出し、もし、優勝していたら、故郷に錦を飾るだったのにとか勝手に想像した私でした。

 そしてダイヤモンドサッカーやダイナミックサッカーといった番組で細々と海外のサッカーを見るようになったのですけどね。

 まあ、思い出のひとつというところでしょうか。
posted by appiy at 23:56| Comment(1) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月02日

W杯 '06 ドイツ大会の記憶

つい最近の記憶なので、振り返るというには新しいですね。
 では書いてみましょう。

 この大会には結果的に2つの特徴的なポイントが出来ました。
 1つは優勝国枠がなくなって、開催国枠だけになった点です。だから今まで前回優勝国が勤めてきたオープニングゲームは開催国の役目となりました。
 もうひとつは、私の記憶する限り初めてヨーロッパチャンピオン不在のワールドカップとなりました。

 ユーロ2004のギリシャの優勝は大きなサプライズだったのですが。

 オープニングゲームは開催国ドイツが攻撃力を見せて4−2で勝利した。しかし、2失点に一抹の不安を覚えた。

 さて、予選リーグはなんといってもC組が一番見ごたえがあった。

 オランダ、アルゼンチンは共に強さを発揮して、2勝を挙げてから直接対決をした。結果はスコアレスドローだったが、このグループのゲームは本当に見ごたえのあるものばかりだった。

 予選から珍しく調子がよかったのはイタリアである。このグループは2位通過だと決勝トーナメントの緒戦でブラジルを当たる事も大きく左右したようだ。

 ドイツも地元の強みで勝ち抜いたし、ブラジルは当たり前のように勝ち抜いた。更にイングランドもオーウェン不在の穴を埋めて勝ち上がった。

 スペインもポルトガルも自力を発揮して勝ち抜いた。

 今大会の影の主役はスイスとフランスであった。
 スイスはW杯史上初めて無失点で敗退した国になったが、話題性は十分であった。
 予選ではスイスの陰に隠れた形だったフランスは、よろめきながら決勝トーナメントに駒を進めた。

 決勝トーナメントに入ると、スイスが無失点で敗退したが、列強が勝ちあがったというにふさわしい顔ぶれになった。
 ベスト8は、3試合を挙げたい。

 ドイツはアルゼンチンの猛攻をしのいでPK戦でアルゼンチンを撃破した。非常に見ごたえのあるゲームであった。

 イングランドとポルトガルは死闘を繰り広げ、PK線の末、ポルトガルが勝利した。ポルトガルの黄金世代の最後のW杯は彼らの悲願を叶えるのかと少し感じた。

 そして一番すごかったのはフランスがブラジルを破ったことであった。
 ゲームを通して唯一のフランスが挙げたあの得点は鳥肌が立つほどすごいものだったと思う。
 
 そして南米勢はすべて姿を消した。
 準決勝は、どちらも好ゲームだった。ドイツ−イタリアは後2分でPK戦になっていた。そうなったらどちらが勝つかわからなかったが、ドイツは天敵イタリアに敗れた。
 ポルトガルはフランスを破るかに思っていたが、フランスは徐々に調子を上げたことと、ここまで延長戦をしてこなかったことが徐々に効いてきたようだった。
 結局フランスが決勝に勝ちあがった。
 
 そして、決勝はイタリアの優勝以上にジダンの頭突きが話題になってしまったが、イタリアが4回目の優勝を遂げた。
 アメリカ大会の決勝、PK戦でブラジルに敗れてするりと手からこぼれた4回目の優勝が、長い年月を経て同じようにPK戦の末、イタリアの手に戻ったのであった。

 W杯の記事はしばらく書けないので、私のサッカー感を少し書いてみます。
 それはメンタリティに関する考え方であるが、日本人のメンタリティはまずルールを守ることにある。しかし、おそらく欧州や南米ではそうは思わないだろう。
正々堂々と相手に勝つ日本の美学は、この世界では足かせになっているかもしれない。
 だから日本が強くならないとは思わないが、不利は背負っていると思う。
 そこで、想像力で世界を超えてほしいと願う。バレーボールがいろいろな技を生み出して世界の頂点に上ったようにである。

 そして、私はサッカーが生み出す美しい瞬間の魔力に取り付かれてまたサッカーを見るのである。
 その瞬間の私の予想をはるかに超える想像力が生み出す美しい瞬間が日本選手の手(足?)によって次々と繰り広げられる時を望みながら。
posted by appiy at 12:27| Comment(1) | TrackBack(1) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする