2009年11月23日

番外編 トヨタF-1撤退に思う

 その記事を見たとき思ったことは

 あらら・・・やっぱり!

 というのが、感想でした。

 HONDAはエンジンサプライヤーとしては勝つことは達成している。
 撤退と挑戦を繰り返す実績から、また来てくれるのではないかと思わせる。

 対して、TOYOTAはどうだろう。
 
 もう、出てきそうもないだろうなあ。

 思えばTOYOTAは後一歩がいつも足りない。
 レースに限って言えばだが。

 ルマンもF−1も後一歩及ばず勝利を手にする事なく去っていく。

 レースをやることに自動車メーカーとしてどれだけの意義があるのか判らない。

 市販車にその技術を転用すると言えば聞こえは良いが、最初から市販車用にその技術を開発した方が、遙かに安くつくだろう。

 結局、レースと(市販)車づくりは接点を持ちながらも、決して同じにはならない。
 人類の求める「誰よりも速く」と「日常の足」は別物なのだ。

 ブリヂストンも来年を最後に撤退する。

 F−1から日本の色が消えていくのは寂しいが、これも仕方ないことなのだろうと思う。

 元々、いつか日本のチームや日本人がF−1に出て、勝つ日が来たらいいなと思ったが、それはまだ果たせそうもないなと思う。

 日本製のマシン、日本製のエンジン、日本製のタイヤ、そして日本人ドライバー。この4つが揃って世界一になるの日は、当面来そうもない。



 それでも、俺はこれからもずっとF−1を見ると思う。

 誰よりも速く

 それを求める戦いはこの先も続いていくのだから。
 単純に好きだからね。

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2008年07月13日

F.アロンソ(VS M.シューマッハ) の記憶

 さて、今回の2006年のワールドチャンピオンはF.アロンソです。

 M.シューマッハの最後の年、そして激戦の年でした。

 それではシーズンを振り返ります。

 開幕戦を制したのはチャンピオンF.アロンソでした。
 2位につけたのはM.シューマッハでした。昨年の屈辱をばねにフェラーリは巻き返してきました。
 ここでまずアロンソはシューマッハに2点差をつけました。

 第2戦はG.フィジケラが制しルノーは開幕2連勝です。アロンソも2位に付けポイントは18です。シューマッハは6位でポイントは11になりました。
これで二人の差は7に開きました。

 第3戦で、またしてもアロンソが勝ちます。
 シューマッハはリタイアしてノーポイントでした。これでアロンソが28となり11のシューマッハに17点差をつけました。

 さて、フェラーリの反撃が始まります。
 第4戦でシューマッハが勝ちます。しかしアロンソは2位につけてポイントはアロンソ36に対し、シューマッハは21でその差はまだ15もありました。

 第5戦シューマッハは再び勝って2連勝です。しかしアロンソは2位につけてポイントはアロンソ44に対してシューマッハは31でまだ13点差です。

 しかし、ここからアロンソが4連勝してしまうのです。
 なんとアロンソは9戦終わって優勝6回2位3回です。もっとも悪くて2位です。ありえない成績です。

 アロンソの4連勝の間、シューマッハは踏ん張りました。
 2位3回5位1回です。
 開いたポイントは12だけだったのです。
 アロンソの第9戦終了時点のポイントは84です。シューマッハは59で25ポイント差でまだ反撃しだいでチャンピオンはどう転ぶかわからない状況でした。

 9戦終わってアロンソとシューマッハはアロンソの7勝2敗って感じですから普通ならもっと差がついていたはずですが、シューマッハの踏ん張りは見事ともいえます。

 そしてシューマッハは再度反撃に出ました。
 第10戦から3連勝を飾ったのです。
 
 これでシューマッハのポイントは89です。
 その間のアロンソは5位、2位、5位となり、16ポイントを加えて100です。
 その差は11に縮まりました。

 第13戦は歴史的に価値のあるホンダのバトンの優勝で、ルノーとフェラーリ以外のこの都市の唯一の優勝者となりました。
 個人的にはホンダの優勝は感慨深いものがありました。
 さて、このレースで、アロンソはリタイアで、シューマッハは8位で1ポイントを加え、アロンソ100に対してシューマッハ90で10点差になりました。

 第14戦でフェラーリのF.マッサが初優勝を遂げます。
 2位はアロンソ、3位はシューマッハで、108対96その差は12点差になりました。

 ルノーの前半の勢いが翳ってきた印象はぬぐえません。

 第15戦で、シューマッハが優勝し、アロンソは痛恨のリタイアになりました。
 これでポイントは108対106でなんと2点差になったのです。

 第16戦でシューマッハが連勝します。アロンソは2位に入ります。
 と、いうことは、ポイントはともに116で、優勝回数でシューマッハが上回り、リーダーの座にシューマッハが着いたのです。

 開幕からトップを一度も譲らなかったアロンソがついにトップの座から陥落したのです。

 しかし、この優勝がシューマッハの最後の優勝だとは誰も思いもしませんでした。
 
 ポイントで並んだ二人が日本にやってきました。
 しかし勝ったのはアロンソで、シューマッハはリタイアしてしまいました。
 これで事実上勝負ありの状況でした。

 シューマッハはブラジルで優勝しアロンソがノーポイントであれば逆転でチャンピオンですが、それはほとんど難しい状況です。

 ブラジルでの最終戦を制したのはフェラーリのF.マッサで、地元で優勝を飾りました。
 アロンソは2位に入り、シューマッハは4位となり、アロンソが2年連続でチャンピオンになったのでした。

 この年の結果は以下のようになりました。

1 アロンソ   134
2 シューマッハ 121
3 マッサ     80
4 フィジケラ   72
5 ライコネン   65
6 バトン     56

 マクラーレンは振るいませんでしたが、ライコネンは頑張って表彰台に何度も乗りました。

 そして偉大なる皇帝M.シューマッハが引退しました。
 マカオF−3で、ハッキネンを破ってスターダムにのし上がり、メルセデスというパトロンを得て這い上がり、ジョーダンでF−1デビューし直線だけで終えたデビュー戦から電撃移籍でベネトンに移り、ピケをして「奴は速い!」と言わしめた男はF−1の世界に数々の記録を残して去っていきました。

 時代は動いていくのです。

−−−−−−−−−−−−−−

ちょっと独り言

 この年、ひとつの時代が終わりました。
 冷静に考えれば、チームメイトだったピケと中島の息子同士がF−1で走っているのだから当然でしょうね。

 1976年の記録からから書いているこの記憶の走り書きですが、何カ国の人間のワールドチャンピオンの記録を書いたのでしょうか。
イギリス、オーストリア、アメリカ、南アフリカ、オーストラリア、ブラジル、フランス、ドイツ、フィンランド、カナダ、スペインといったところでしょうか。

 イタリア人のチャンピオンは居ないですね。
 ここに日本人が入る日を夢に見ています。



 
posted by appiy at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | F-1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月02日

F.アロンソ(VS K.ライコネン) の記憶

 さて、今回の2005年のワールドチャンピオンはF.アロンソです。

 時代が動いた年だったと言える年でした。

 ついに新世代のドライバーがチャンピオンを取ったのです。

 それではシーズンを振り返ります。

 開幕戦を制したのはG.フィジケラでした。
 この年の優勝はこの1つだった彼ですが、彼の速さは定評がありついにルノーでと思わせましたが、主役はアロンソにとられます。

 第2戦から3連勝したアロンソは並じゃないことを示します。

 一番印象に残ったのは第4戦でシューマッハに終盤で追い上げられた時でした。
 彼は周回遅れを抜きませんでした。そのままシューマッハを押さえ込んで優勝したのです。

 強い印象を残すドライバーは求道者の如く、速く走ることを求めるのですが、彼は勝利を求めたと私は感じました。

 ああ、こいつ強い奴だと私はそのとき感じました。

 その後、ライコネンが2連勝します。

 そう、この二人、速いのにクレバーなドライバーなのです。
 北欧出身のライコネンはわかるのですが、ラテン系のスペイン人ドライバーでクレバーなアロンソには驚かされました。

 7戦と8戦は、ともに1つずつ星を分けてアロンソ4勝、ライコネン3勝で第9戦を迎えます。

 このアメリカGPは、悲しいGPでした。
 ミシュラン勢が安全性の理由で走らず、出走はわずか6台で、シューマッハが勝ちますが、ひどいGPになってしまいました。

 第10戦で元のGPに戻り、アロンソが勝って今シーズンは見えたかなといった感じでした。
 2位にライコネンは入りますが、ポイントはアロンソは69、ライコネンは45でした。

 第11戦でモントーヤが勝ちますが、彼はこの年安定しません。2位にアロンソが入り77ポイント、3位にライコネンで51ポイントでじりじりと離されます。

 第12戦と13戦で、互いに優勝とリタイアを分け合い10ポイントずつ積み上げましたので、87ポイントと61ポイントとなりました。

 残りは6レースです。

 第14戦をライコネンが優勝しますが、2位にアロンソが入り、95ポイントと71ポイントで、24点差で、残り5戦です。
 ライコネンは苦しくなりました。

 第15戦でモントーヤが2勝目を挙げましたが、アロンソが2位でライコネンは4位となってしまい、差が開きます。

 第16戦でライコネンは勝つのですが、アロンソは2位でポイントは111に伸ばします。ライコネンは86ポイントで、25点差で残り3戦はほぼ絶望的です。
 アロンソは自力で5ポイント取ればチャンピオンが確定します。

 第17戦で、モントーヤが勝ち、ライコネンは2位、アロンソが3位で決定しました。

 第18戦でライコネンは優勝しますが、時遅く、アロンソはクレバーに3位に入り、最終の第19戦で優勝して有終の美を飾りました。

 この年の結果は以下のようになりました。

1 アロンソ   133
2 ライコネン  112
3 シューマッハ  62
4 モントーヤ   60
5 フィジケラ   58

 驚くべきは、シューマッハのランキング3位です。
 1点でも多く取ろうという姿勢の賜物だと思います。

 この年の優勝経験者5人が上位に来ました。
 クレバーな3人が上位になったのは、時代でしょうか。

 BARが下位に沈んだのは残念でしたが、終盤のバトンは頑張りました。
 琢磨は厳しい1年になりました。

−−−−−−−−−−−−−−

ちょっと独り言

 最近、ホットなドライバーが少なくなったような感じです。
 速くてクレバーでないとだめなのかもしれません。

 そこまで、F−1は人間に完成度を求める域まで来たのかもしれないですね。

 でも、人が起こす奇跡のような瞬間を求めて私はまたTVを見るのです。

 
posted by appiy at 20:16| Comment(0) | TrackBack(0) | F-1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月28日

M.シューマッハ(VS R.バリチェロ) の記憶

 さて、今回の2004年のワールドチャンピオンはまたしてもM.シューマッハです。

 もう、この年は語ることがないほどの圧勝でした。

 18戦中13勝で、残る5つのうち2つはバリチェロですから、フェラーリは年間15勝。
 残るは、ルノーのトゥルーリ、マクラーレンのライコネン、ウイリアムズのモントーヤだけです。

 この年は少し違った見方でGPを追ってみることにしましょうか。

 さて、第1戦から第5戦までシューマッハが勝ちます。
 その間の2位と3位を見てみます。
 バリチェロは1,3,5戦で2位になります。
 第2戦の2位はモントーヤで、第4戦の2位はバトン(BAR)でした。
 では3位は、第1戦アロンソ、第2戦バトン、第3戦バトン、第4戦モントーヤ、第5戦トゥルーリでした。

 興味深いのはバリチェロには1度のリタイアもここまでありません。

 第6戦のモナコでシューマッハは初リタイアとなります。
 勝ったのはトゥルーリです。2位がバトン、3位がバリチェロでした。

 第7戦から第13戦までシューマッハは勝ちっぱなしでした。
 もう何もいうことはありません。

 では、第2位は、7〜9戦、第13戦はバリチェロです。バリチェロのリタイアは第12戦のみです。
 第10戦の2位はアロンソでした。第11戦はライコネン、第12戦はバトンで、勝てないまでもアロンソの速さはこのあたりに見て取れます。

 では第3位、第7戦、第8戦はバトンです。第9戦は我らが佐藤琢磨で、アグリ以来の表彰台でした。
 第10戦、第11戦はバリチェロで、第12戦と第13戦はアロンソでした。

 この年のBARは速かったですね。
 琢磨にもう少し何かがあれば、もっと好成績を挙げたのではないのかとも思います。

 さて、ここから3レース勝者にシューマッハの名がありません。
 第14戦の勝者は、ライコネンで、2位はシューマッハ、3位がバリチェロですからライコネンの一勝には価値があります。

 第15戦と第16戦はバリチェロが勝ちました。
 ここが今シーズン初勝利ですからバリチェロ君は・・・。

 第15戦の2位はシューマッハ、第16戦の2位はバトンです。
 3位はというと、第15戦がバトン、第16戦がライコネンでした。

 第17戦はシューマッハでした。2位はR.シューマッハです。このシーズンのラルフは苦労していましたので、これはおめでとうという感じです。
 第3位はバトンでした。

 最終戦でモントーヤが勝ちますが、2位にライコネン、3位にバリチェロですから、この年の表彰台に上ったのはこのようになります。

1位 シューマッハ  15回
2位 バリチェロ   14回
3位 バトン     10回
4位 アロンソ     4回
4位 ライコネン    4回
6位 モントーヤ    3回
7位 トゥルーリ    2回
8位 R.シューマッハ 1回
8位 佐藤琢磨     1回

 
 ちなみにポイントの最終結果はこのようになりました

1 シューマッハ 148
2 バリチェロ  114
3 バトン     85
4 アロンソ    59
5 モントーヤ   58
6 トゥルーリ   46
7 ライコネン   45
8 佐藤琢磨    34
9 ラルフ     24
10 クルサード   24

 上位5チームの9名が表彰台を分け合い、ポイントランキングのベスト10は上位5チームで独占となりました。

 上位5チームで唯一勝利がなかったのはBARで、上位5チームで唯一表彰台がなかったのはクルサードでした。

 フェラーリと皇帝の包囲網をものともせず、フェラーリとシューマッハは圧勝しました。

 この強さは続くのではと誰もが思ったのではないでしょうか。
 記録的な圧勝を遂げたシーズンが皇帝の最後のチャンピオンイヤーになるとは、誰も思っていなかったのです。

 ブリジストンタイヤとミシュランタイヤの優劣がこんなにも翌年はっきりと出るとは誰もまだ思いもよらない時だったのです。

−−−−−−−−−−−−−−

ちょっと独り言


 速さと強さ、この二つは少しばかり異なります。
 両方を持っているシューマッハは恐るべきドライバーでした。

 彼は、赤いマシンのチームにいろいろなものをもたらし、本当に強いチームに変えて、マシンを育て王者に君臨しました。

 かつてどれほどのドライバーでもあのチームをここまで変えることはできませんでした。

 ラウダも、プロストも、ここまでのことはできませんでした。

 彼がいた時代のF−1を見ることができた我々は、本当に幸せなのかもしれません。

 
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M.シューマッハ(VS R.バリチェロ) の記憶

 さて、今回の2004年のワールドチャンピオンはまたしてもM.シューマッハです。

 もう、この年は語ることがないほどの圧勝でした。

 18戦中13勝で、残る5つのうち2つはバリチェロですから、フェラーリは年間15勝。
 残るは、ルノーのトゥルーリ、マクラーレンのライコネン、ウイリアムズのモントーヤだけです。

 この年は少し違った見方でGPを追ってみることにしましょうか。

 さて、第1戦から第5戦までシューマッハが勝ちます。
 その間の2位と3位を見てみます。
 バリチェロは1,3,5戦で2位になります。
 第2戦の2位はモントーヤで、第4戦の2位はバトン(BAR)でした。
 では3位は、第1戦アロンソ、第2戦バトン、第3戦バトン、第4戦モントーヤ、第5戦トゥルーリでした。

 興味深いのはバリチェロには1度のリタイアもここまでありません。

 第6戦のモナコでシューマッハは初リタイアとなります。
 勝ったのはトゥルーリです。2位がバトン、3位がバリチェロでした。

 第7戦から第13戦までシューマッハは勝ちっぱなしでした。
 もう何もいうことはありません。

 では、第2位は、7〜9戦、第13戦はバリチェロです。バリチェロのリタイアは第12戦のみです。
 第10戦の2位はアロンソでした。第11戦はライコネン、第12戦はバトンで、勝てないまでもアロンソの速さはこのあたりに見て取れます。

 では第3位、第7戦、第8戦はバトンです。第9戦は我らが佐藤琢磨で、アグリ以来の表彰台でした。
 第10戦、第11戦はバリチェロで、第12戦と第13戦はアロンソでした。

 この年のBARは速かったですね。
 琢磨にもう少し何かがあれば、もっと好成績を挙げたのではないのかとも思います。

 さて、ここから3レース勝者にシューマッハの名がありません。
 第14戦の勝者は、ライコネンで、2位はシューマッハ、3位がバリチェロですからライコネンの一勝には価値があります。

 第15戦と第16戦はバリチェロが勝ちました。
 ここが今シーズン初勝利ですからバリチェロ君は・・・。

 第15戦の2位はシューマッハ、第16戦の2位はバトンです。
 3位はというと、第15戦がバトン、第16戦がライコネンでした。

 第17戦はシューマッハでした。2位はR.シューマッハです。このシーズンのラルフは苦労していましたので、これはおめでとうという感じです。
 第3位はバトンでした。

 最終戦でモントーヤが勝ちますが、2位にライコネン、3位にバリチェロですから、この年の表彰台に上ったのはこのようになります。

1位 シューマッハ  15回
2位 バリチェロ   14回
3位 バトン     10回
4位 アロンソ     4回
4位 ライコネン    4回
6位 モントーヤ    3回
7位 トゥルーリ    2回
8位 R.シューマッハ 1回
8位 佐藤琢磨     1回

 
 ちなみにポイントの最終結果はこのようになりました

1 シューマッハ 148
2 バリチェロ  114
3 バトン     85
4 アロンソ    59
5 モントーヤ   58
6 トゥルーリ   46
7 ライコネン   45
8 佐藤琢磨    34
9 ラルフ     24
10 クルサード   24

 上位5チームの9名が表彰台を分け合い、ポイントランキングのベスト10は上位5チームで独占となりました。

 上位5チームで唯一勝利がなかったのはBARで、上位5チームで唯一表彰台がなかったのはクルサードでした。

 フェラーリと皇帝の包囲網をものともせず、フェラーリとシューマッハは圧勝しました。

 この強さは続くのではと誰もが思ったのではないでしょうか。
 記録的な圧勝を遂げたシーズンが皇帝の最後のチャンピオンイヤーになるとは、誰も思っていなかったのです。

 ブリジストンタイヤとミシュランタイヤの優劣がこんなにも翌年はっきりと出るとは誰もまだ思いもよらない時だったのです。

−−−−−−−−−−−−−−

ちょっと独り言


 速さと強さ、この二つは少しばかり異なります。
 両方を持っているシューマッハは恐るべきドライバーでした。

 彼は、赤いマシンのチームにいろいろなものをもたらし、本当に強いチームに変えて、マシンを育て王者に君臨しました。

 かつてどれほどのドライバーでもあのチームをここまで変えることはできませんでした。

 ラウダも、プロストも、ここまでのことはできませんでした。

 彼がいた時代のF−1を見ることができた我々は、本当に幸せなのかもしれません。
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2008年03月30日

M.シューマッハ(VS K.ライコネン) の記憶

 さて、今回の2003年のワールドチャンピオンはまたしてもM.シューマッハです。

 ここしばらく、圧勝だった皇帝ですが、この年は激戦になります。

 ポイント制が変わったことで、優勝が少なくても十分チャンピオンになれることを示した1年でもありました。
 この年は二人のポイントの動きに注目しながら追ってみたいと思います。

 開幕戦を制したのはマクラーレンのクルサードでした。
 まずフェラーリ以外が最初に勝ったのはこの年を考えると面白くなるのではと予感させました。
 2位はウィリアムズのモントーヤが入りました。
 3位に入ったのはライコネンで、シューマッハは4位の開幕となりました。

 第2戦を制したのはそのライコネンです。2位にはいったのはハリチェロでした。
 シューマッハは6位となり、ポイントは2戦で8です。ライコネンは16でこの時点でトップとなります。
 驚いたことに開幕2連勝を飾ったマクラーレンはなんとその後1つも勝てなかったのです。

 第3戦に波乱が起き、ジョーダンのフィジケラが優勝します。
 この人は結構渋い活躍をするドライバーですね。
 2位にはいったのはライコネンで、シューマッハはリタイアします。ライコネンのポイントは24に伸びます。

 第4戦まで来てやっとシューマッハが逆襲で優勝を遂げます。しかしライコネンはここでも2位に入ります。
 ポイントはライコネンが32で、シューマッハは18となりますが、その差は14もあります。
 ちなみに皇帝を追い落とす宿命の男アロンソはルノーで健闘を続けていました。

 第5戦でシューマッハが連勝してやっと波に乗ります。ライコネンはリタイアとなりポイント差は縮まりました。
 ライコネンは32ですがシューマッハは28となって、捕まえるのは時間の問題かと思われました。
 アロンソはこのとき2位にはいって徐々に頭角を現してきましたが、この年の主役にはなれませんでした。

 第6戦、シューマッハは3連勝を飾ります。いよいよチャンピオンへ向けてダッシュが始まった感じです。
 しかしライコネンが2位に入りその差は2しか縮まりません。
 ライコネンは40、シューマッハは38です。

 ここまで完全に2強対決の様相を呈してきたのですが、このシーズンにはまだ伏兵が現れます。
 ウイリアムズ勢の台頭です。

 第7戦、ウイリアムズが牙をむきます。モントーヤが勝って反撃の狼煙を上げたのです。
 2位にはしぶとくライコネンが入り、シューマッハは3位になります。
 これで、ポイントはライコネンが48、シューマッハは44です。
 ウイリアムズ勢はモントーヤは25で、シューマッハの弟ラルフも25で並びました。
 間にいたのはアロンソの29とバリチェロで27、開幕戦を制したクルサードも25でウイリアムズ勢と並んでいたのです。

 第8戦、このレースは思えばポイントのレースだったかもしれません。
 シューマッハが優勝したのですが、2位にラルフ、3位にモントーヤ、4位にバリチェロ、5位にアロンソ、6位がライコネンでした。
 つまりここで、シューマッハが逆転でトップに立ったのです。
 しかし並べてみるとこうなります。

1 シューマッハ 54
2 ライコネン  51
3 アロンソ   34
4 ラルフ    33
5 モントーヤ  31
6 バリチェロ  31
7 クルサード  25

 予断を許さない展開です。マクラーレンとフェラーリの一騎打ちかと思われたこの年にウィリアムズが割り込み、ルノーの思わぬ健闘に、混戦模様を強く演出してきました。

 第9戦で、ウィリアムズ勢の勢いは更に上がります。
 ラルフが優勝し、モントーヤと1−2フィニッシュを決めます。この年同一チームの1−2フィニッシュは初めてです。
 3位にバリチェロ、4位にしぶとくアロンソ、5位にシューマッハです。ライコネンは無念のリタイアになりました。
 ポイントはこうなります。

1 シューマッハ 58
2 ライコネン  51
5 アロンソ   44
3 ラルフ    43
4 モントーヤ  39

6 バリチェロ  37
7 クルサード  25

 どうやら、クルサードは厳しくなって来ました。
 しかし、21点差に6人です。面白いといわざるを得ませんね。

 そして第10戦で、ラルフが2連勝をします。2戦連続の1−2フィニッシュをウィリアムズが決めました。
 3位はシューマッハです。しかし、4位にライコネンがしぶとく入ります。本当にしぶといですライコネンは。
 バリチェロが7位でわずかですがポイントを積み上げます。
 クルサードもなんとか5位で久々にポイントを積み上げました。
 その結果はこうなりました。

1 シューマッハ 64
2 ライコネン  56
3 ラルフ    53
4 モントーヤ  47
5 アロンソ   39
6 バリチェロ  39
7 クルサード  29

 まだ25点差に6人、17点差に4人です。残りは6戦です。盛り上がりは高まるばかりです。

 第11戦でストップ・ザ・ウィリアムズを果たしたのはバリチェロで今シーズン初勝利です。
 しかし2位はモントーヤで3戦連続の2位です。ラルフは残念ながらここで完全に勢いが止まってしまいました。
 3位はしぶといライコネンで4位にシューマッハ、5位にクルサードでした。
 その結果、ランキングはこうなりました。

1 シューマッハ 69
2 ライコネン  62
3 モントーヤ  55
4 ラルフ    53
5 バリチェロ  49
6 アロンソ   39
7 クルサード  33

 20点差に5人、どうやら5人がタイトル争いの権利を持っている感があります。
 首位にいるシューマッハも4戦勝てず、表彰台もその間1回で、勢いは落ちていました。
 ライコネンはしぶとくポイントを重ねてくるし、ウイリアムズ勢の勢いはまだ落ちていません。
 まだ予断を許さないシーズンでした。

 第12戦でモントーヤが勝ってタイトル争いに大きく前進します。クルサードは2位に入りますが、上位陣でポイントを取れたのはあとはアロンソが4位とシューマッハの7位だけという状態でした。
 その結果ライコネンはついに、ランキング3位にまで後退することになります。
 ランキングは3つ巴の様相です。

1 シューマッハ 71
2 モントーヤ  65
3 ライコネン  62
4 ラルフ    53
5 バリチェロ  49
6 アロンソ   44
7 クルサード  41


 第13戦で波乱が再び起こります。なんとアロンソが優勝するのです。
 ライコネンはしぶとく2位に入ります。3位にはモントーヤで、ラルフが4位、クルサードが5位、シューマッハはなんとか8位で1ポイントを積みました。
このあたりはシューマッハのしぶとさでもあります。
 混戦模様は更に混迷を深めた感があり、ランキングはこうなったのです。

1 シューマッハ 72
2 モントーヤ  71
3 ライコネン  70
4 ラルフ    58
5 アロンソ   54
6 バリチェロ  49
7 クルサード  45

 なんと、2点差に3人がいる史上稀に見る混戦です。
 これはいったいどうなるのか、神様しかわからない展開です。

 第14戦、この混戦を演出したのではと後に言われる皇帝が、ついに反撃に出たのです。
 シューマッハが優勝し、2位にはモントーヤ、3位にバリチェロ、4位にしぶといライコネンで、アロンソは8位でという結果になりました。
 アロンソとしてはここで終戦でした。

1 シューマッハ 82
2 モントーヤ  79
3 ライコネン  75
4 ラルフ    58
5 バリチェロ  55
6 アロンソ   55
7 クルサード  45

 満を持しての反撃だったのか、ここへ来ての勝利は大きく、残り2戦でシューマッハはポイント以上に勢いを取り戻したことが大きかったと思います。
 しかし、3名がチャンピオンの権利をまだ持っているのは同じです。

 皇帝の皇帝たるゆえんは、第15戦に発揮されます。
 見事に連勝を飾ったのです。
 2位にはしぶといライコネンが入り、3位にザウバーのフィレンツェンが入り驚かせましたが、モントーヤは6位滑り込むのがやっとでした。
 かくしてランキングはこうなりました。

1 シューマッハ 92
2 ライコネン  83
3 モントーヤ  82
4 ラルフ    58
5 バリチェロ  55
6 アロンソ   55
7 クルサード  45

 この時点で、モントーヤのタイトルはなくなりました。ポイントで並んでも優勝回数が足りません。
 最終戦にチャンピオンの権利を残したのはライコネンとシューマッハだけで、マジック1というところです。
 鮮やかにタイトルを取りにきた感じです。

 そして運命の日本GP、そこで勝ったのはバリチェロでした。
 彼の優勝でシューマッハはチャンピオン確定だったのですが、自身も8位でしっかりと1ポイントをとりました。
 ライコネンは最後までしぶと2位に入りました。
 こんなにもしぶとくポイントを積み上げるとは恐ろしいドライバーです。なんと2位の数は7回です。
 最終結果はこのようになりました

1 シューマッハ 93
2 ライコネン  91
3 モントーヤ  82
4 バリチェロ  65
5 ラルフ    58
6 アロンソ   55
7 クルサード  51

 この年の激戦は、ここ2年フェラーリとシューマッハの圧勝だったF-1をエキサイティングなものだと思い出させてくれました。
 そして終わってみればやはり皇帝は皇帝でした。

 しかし、ライコネンとモントーヤのパフォーマンスは見事でした。
 そしてアロンソも存在感を示した1年でした。

 新世代の主役たちによる皇帝の包囲網ができた感のある1年でした。

−−−−−−−−−−−−−−

ちょっと独り言


 クレバーなドライバーとして語られるライコネンですが、アロンソもクレバーなドライバーです。
 両者はドライビングに関しては共にクレバーなのですが、言動を見ているとアロンソのほうが過激です。

 ホットなドライバーのモントーヤはこの年が本当に大きなチャンスでしたが、彼がドライバーとして飛躍するきっかけのアメリカでタイトル争いの終焉を迎えたのは皮肉な出来事でした。

 さて、皇帝の時代はまだ続きます。本当に強いドライバーです。

 
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2008年02月24日

M.シューマッハ(VS R.バリチェロ) の記憶

 さて、今回の2002年のワールドチャンピオンはM.シューマッハです。

 フェラーリで7年目でディフェンディングチャンピオンのM.シューマッハは21世紀になって益々勝ちます。

 この年もフェラーリとシューマッハは圧勝でした。

 ランキング2位は同じフェラーリに乗るバリチェロで、フェラーリは年間17戦中15勝を挙げる圧勝振りでした。
 
 この年の興味はシューマッハがどれだけ勝つかみたいなものでした。 

 開幕戦を制したのはシューマッハでモントーヤが2位に入りました。
 そして第2戦、終わってみればシューマッハのこの年のワーストリザルトの3位になりました。
 勝ったのは弟のR.シューマッハでした。この年フェラーリ以外が勝ったのはわずかに2つで、その内の1つです。

 モントーヤはこの年勝てずに終わります。が第2戦でも2位でした。つまりウィリアムズが1−2フィニッシュを挙げたのでした。

 第3戦からシューマッハは4連勝で、完全に一人舞台になってしまいます。

 第6戦終了時点でシューマッハは54ポイントです。2位のモントーヤをして27ポイントでしたから既に倍です。

 バリチェロは序盤は不調で2位が2回だけで、12ポイントに過ぎません。

 マクラーレンはさらに悲惨でクルサードはやっと10ポイント、ハッキネンが後継者に決めたライコネンは、開幕戦の3位だけで4ポイントに過ぎません。
 ルノーで走っていたバトンの方が8ポイントですからずっと上でした。

 やっと来たトヨタは開幕戦でサロが6位で初入賞し、第3戦でも6位に入ってもう1ポイントを積み上げます。
 しかしこれだけでした。

 さて、英国F−3のチャンピオンとなってF−1にやってきた佐藤琢磨君が入ったジョーダンですが、フィジケラが第6戦で5位に入って2ポイントで、琢磨は苦しいシーズンを迎えています。

 では、第7戦、ストップ・ザ・シューマッハを果たしたのはクルサードでした。
 しかし、シューマッハは2位でした。
 
 そして第8戦でまたシューマッハが勝ちます。
 クルサードも2位に入りますが、これ以降彼は良くても3位しか取れませんでした。
 そしてバリチェロが3度目の入賞では3位で、やっと3回目のポイントゲットです。

 そのバリチェロが第9戦で勝ちます。
 しかし第10戦からシューマッハが3連勝します。

 12戦が終わった時点で、シューマッハは10勝で、2位1回、3位1回ですから、110ポイントで、チャンピオンも決まってしまっていました。
 モントーヤも頑張っていましたが、2位4回、3位2回、4位2回、5位1回で、40ポイントでした。
 
 第13戦で再びバリチェロが勝ってシューマッハは2位、第14戦で入れ替わってシューマッハが勝ってバリチェロが2位でした。

 第15戦、16戦とバリチェロは2連勝を挙げるのですが、2位は常にシューマッハです。
 もう手がつけられません。

 そして最終戦の日本GPでもシューマッハが勝って、年間11勝、フェラーリは年間15勝を挙げました。

 この年の日本GPで佐藤琢磨が5位にはいって、初ポイントを挙げます。

 日本としてはこれはいい終わり方になりました。
 
 最終結果は次のようになりました。

1位 M.シューマッハ 144ポイント
2位 R.バリチェロ   77ポイント
3位 J.モントーヤ   50ポイント
4位 R.シューマッハ  42ポイント
5位 D.クルサード   41ポイント
6位 K.ライコネン   24ポイント


 もう圧勝という言葉しか出てきません。

 もやは皇帝の強さは円熟に達してきました。
 
 しかし、ライコネンはシューマッハとの距離を大分縮めました。

 新世代の主役たちによる皇帝の包囲網が始まりつつあるのは確かです。

−−−−−−−−−−−−−−

ちょっと独り言


 シューマッハは本当に速いドライバーで且つクレバーなので、強いドライバーの象徴のような存在です。

 ホットなドライバーが起こす奇跡のような走りとクレバーがドライバーが淡々と勝利を積み上げていく両極がレースの魅力です。

 バイクの世界でも、皇帝K.ロバーツとF.スペンサーとか、W.レイニーとK.シュワンツのようなホットとクールの双方がそろっているときのGPシーンは面白いものです。
 F−1ではセナ−プロのようなものですね。

 このところホットなドライバーが今ひとつなんですよね。
 モントーヤには期待したのですが、もうひとつ届きませんでした。

 ここ最近で一番ホットなドライバーって琢磨かもしれません。
 彼には行け行けで、ずっといてほしいものです。

 
posted by appiy at 18:29| Comment(0) | TrackBack(0) | F-1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月27日

M.シューマッハ(VS D.クルサード) の記憶

 さて、今回の2001年のワールドチャンピオンはM.シューマッハです。

 フェラーリで6年目でディフェンディングチャンピオンのM.シューマッハは21世紀最初のチャンピオンになります。

 この年のフェラーリと言うよりシューマッハは圧勝でした。

 しかし、マクラーレンの二人のクルサードとハッキネンの二人のポイントを足してもシューマッハ一人に及びませんでした。
 それほどの圧倒的なシーズンを振り返りましょう。
 

 開幕戦を制したのはシューマッハでクルサードが2位に入りました。
 そして第2戦も勝って、優位に立ちます。
 バリチェロは3強の中で、唯一この年勝てなかったドライバーになりましたが、第2戦で2位にはいります。

 第3戦でクルサードが優勝して、フェラーリ対マクラーレンがこの年も対決の構図かと思われましたが、第4戦で弟のR.シューマッハが優勝します。
 シューマッハのリタイアはこの年わずかに2回で、この第4戦と12戦だけでした。

 第5戦は再びシューマッハが勝ち、第6戦ではクルサードが勝ちました。

 この時点でシューマッハは42点、クルサードは38点です。
 第4戦時点では並んだのですが、クルサードが第7戦以降シューマッハの前でゴールしたことは一度もなく、シーズンはシューマッハの一人舞台になっていくのです。

 第7戦で、シューマッハがまた勝ちます。第8戦では、R.シューマッハが今期2勝目をあげます。
 しかし、ウィリアムズのマシンは、速くても信頼性がもうひとつで、ポイントが伸びません。

 第9戦、10戦とシューマッハが勝ちます。もう止まらない感じです。

 第11戦目でハッキネンが遅すぎた1勝をあげます。しかし反撃には遅すぎました。
 第12戦はR.シューマッハが勝って、彼はこの年3勝目を上げ、勝利数では兄に次ぐ回数となりました。

 結果的にこの年は、兄弟で17戦中12戦を制することになりました。

 12戦終了時点でシューマッハは優勝6回、2位4回、リタイア2回で、84ポイントです。
 もはや勝負はついていたようです。

 第13戦、14戦もシューマッハは勝ってしまいますので、手がつけられません。

 第15戦で、モントーヤが勝ちます。
 彼はCARTで活躍して、F−1に移籍して優勝を遂げたドライバーです。

 私も彼の走りをもてぎでみましたが、アグレッシブなドライバーです。

 第16戦でハッキネンが遅すぎる2勝目をあげます。
 彼は、この年はぱっとしないシーズンになってしまいました。

 第17戦の日本GPでシューマッハが有終の美を飾って年間9勝を達成します。

 最終結果はこうなりました。

 シューマッハ   123
 クルサード     65
 バリチェロ     56
 R.シューマッハ  49
 ハッキネン     37
 モントーヤ     31

 もう圧勝という言葉しか出てきません。

 21世紀もシューマッハで幕が開きました。
 
 シューマッハを脅かす次世代のライバル達は、ライコネンはザウバーで全戦エントリーして4回入賞して9ポイント、アロンソはこの年ミナルディから全戦エントリーしてノーポイントでした。

 しかし、何かが変わり始める21世紀の第一歩だったのです。

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ちょっと独り言


 21世紀もシューマッハで始まりました。

 実際にはまだ、シューマッハの時代は続きます。

 技術の進歩はF−1の世界にもいろいろなものをもたらします。

 しかし、人が占める要素はまだまだあることをシューマッハが示してくれていたように思います。

 最後の所は人が決める、だからスポーツなのです。 
 
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2007年12月23日

M.シューマッハ(VS M.ハッキネン) の記憶

 さて、今回の2000年のワールドチャンピオンはM.シューマッハです。

 フェラーリで5年目のM.シューマッハはフェラーリに来たものの常に後一歩及ばずでタイトルを逃してきました。
しかし、ティフォッシとフェラーリの悲願はこの年達成されるのです。

 この年のフェラーリのNo.2ドライバーはR.バリチェロで、彼も速いドライバーですが、明確にNo.2です。

 しかし、チャンピオンチームのマクラーレンも抵抗します。

 この年は2強のチームの4人ですべてのレースの勝者になったのです。圧倒的な2強でした。
 その証拠に表彰台に立った人間は2強の4人以外は、わずかに3人です。
 

 さてシーズンに目を向けましょう。

 開幕戦を制したのはシューマッハでバリチェロとの1−2フィニッシュでした。
 そしてシューマッハはそのまま3連勝してしまいます。

 対するマクラーレンは予選は1位でも開幕2戦で二人ともリタイアする最悪のスタートになっていました。
 しかし、第3戦で2位(ハッキネン)3位(クルサード)が入るなど、3戦目でやっと追撃体制が整いました。

 第4戦でクルサードが優勝し、やっとシューマッハを止めました。マクラーレンは1−2フィニッシュをやってのけたので、反撃ムードです。
 しかしシューマッハは手堅く3位に入ります。

 第5戦でハッキネンが今シーズン初勝利で、再びのマクラーレンの1−2です。
 4強はシューマッハ36、ハッキネン22、クルサード20、バリチェロ13ですから、フェラーリが49、マクラーレンが42でシーズンが面白くなってきました。


 第6戦でシューマッハが巻き返して優勝します。しかし第7戦をシューマッハがリタイアして、クルサードが勝ちます。
 それでもシューマッハが第8戦に勝ってしまい、どうやらシューマッハのチャンピオンかと誰もが思ったのですが、シューマッハに試練がやってきたのです。

 第9戦からシューマッハは3戦連続でリタイアとなってしまうのです。

 第9戦を制したのはクルサードで、今年のシューマッハの相手はクルサードかと思いましたが、第10戦をハッキネンが勝ちます。
 もしどちらかがNo.1ドライバー待遇になっていたら、チャンピオンの座は変わったかも知れません。

 第11戦でバリチェロが勝利し、フェラーリを救います。
 彼の優勝はこのひとつでしたがフェラーリには大きな1勝になりました。

 第12戦と13戦はハッキネンが連勝するのですが、シューマッハも手堅く2位に入りました。しかし第12戦でポイントリーダの座はハッキネンへと変わったのです。

 この時点でシューマッハは68、ハッキネンは74と6ポイント差でした。クルサードも61とシューマッハは完全に包囲されてしまいました。
 頼みのバリチェロは49で、コンストラクターズもマクラーレンに離されてしまいます。

 しかし、皇帝の皇帝たるゆえんはこの後でした。まさしく圧巻の横綱相撲が展開されます。

 第14戦にシューマッハが優勝し、ハッキネンは2位に入り、ポイントリーダの座を守ります。バリチェロとクルサードはリタイアとなります。

 ポイントはハッキネン80、シューマッハ78、クルサード61、バリチェロ49となります。

 第15戦もシューマッハが勝ちバリチェロが2位、ハッキネンは無念のリタイアとなりクルサードは5位でした。
 その結果、ポイントはシューマッハが逆転し首位に返り咲いたのです。

 ポイントは次のようになりました。
 シューマッハ88、ハッキネン80、クルサード63、バリチェロ55 

 コンストラクターズもマクラーレン143、フェラーリ143と並びました。

 残る2戦。8ポイントのリードを持ってシューマッハ日本に来ました。
 そして優勝を飾ったのです。

 その結果、シューマッハのチャンピオンが決まりました。2位にハッキネン、3位にクルサードが入りましたが、バリチェロが4位になってポイントはこうなりました。

 シューマッハ98、ハッキネン86、クルサード67、バリチェロ58

 コンストラクターズもフェラーリが156となり153のマクラーレンを引き離します。

 しかし、コンストラクターズタイトルは最終戦にもつれ込みました。
 そして16戦もシューマッハが優勝し、クルサードが2位に入りますが、3位にバリチェロ、4位にハッキネンとなり最終的には次のような結果となりました

 シューマッハ108、ハッキネン89、クルサード73、バリチェロ62

 フェラーリ170、マクラーレン162

 シューマッハ圧巻の4連勝でフェラーリ移籍後、5年を要してやっと悲願のタイトルを奪還しました。
 フェラーリとしては1979年のJ.シェクター以来のチャンピオンの誕生でした。

 A.プロストも成し遂げられなかったフェラーリでのチャンピオン獲得を彼は成し遂げたのです。  


 20世紀最後の年、ミレニアムの年に最後のナショナルカラーを背負ったマシンが歴史に残ったのです。
 

−−−−−−−−−−−−−−

ちょっと独り言


 2000年はフェラーリとシューマッハの年になりました。
 1979年にJ.シェクターがタイトルを獲得して以来です。
 コンストラクターズも1983年にアルヌー、タンベイを要して以来だと思います。

 1977年の記憶から辿って書き始めましたが。
 このときからあるチームで2000年時点でも残っているのは、フェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズだけです。
 ちなみにアロウズは1978年からでそれを入れても4チームです。

 時代は移り変わりました。

 21世紀の最初2000年代の主役たちがこれから出てきます。
 しかし皇帝は壁となって立ちはだかるのです。
 
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2007年12月02日

M.ハッキネン(VS E.アーバイン)の記憶

 さて、今回の99年のワールドチャンピオンは2年連続でM.ハッキネンです。

 フェラーリで4年目のM.シューマッハは満を持してチャンピオンを狙いに行きます。
 この年のフェラーリも速いマシンでした。

 しかし、チャンピオンチームのマクラーレンが立ちはだかりました。

 この年は2強以外のチームからも優勝者が出て面白い年でした。

 対して不幸を背負ったのはM.シューマッハでした。

 さてシーズンに目を向けましょう。

 開幕戦を制したのはE.アーバインでした。
 2位にはいったのはジョーダンのフレンツェンでした。
 ここで、なんとなくこの年の予感を感じました。

 第2戦はチャンピオンのハッキネンが勝ちました。

 第3戦からシューマッハが2連勝で、ついにシューマッハがフェラーリでチャンピオンを取る年がきたのかと思われました。
 しかし、第5戦からハッキネンが2連勝を飾り、因縁のライバル同士の対決ムードが高まります。

 第7戦ですごいことが起きました。
 ジョーダンに乗るフレンツェンが優勝したのです。

 ところで、フェラーリのNo.2だったE.アーバインですが、意外に地味でポイントは稼いでいますが、せっせとNo.2ドライバーに専念していました。

 そして第8戦のクルサードが勝つのですが、シューマッハがクラッシュして戦列を離れることになってしまったのです。

 急遽チームメイトにM.サロを迎え、No.1待遇になったのがアーバインです。
 第9戦にアーバインは勝って反撃ののろしを上げます。
 第10戦では最後にサロにトップを譲ってもらって2連勝を達成します。
 これで彼のポイントは52となり、44のハッキネンを抜いてトップに立ちます。

 ハッキネンも反撃に出て第11戦で優勝し、4ポイントを稼いだアーバインに2ポイント差に詰め寄りました。

 第12戦でクルサードが優勝し、ハッキネンは2位、アーバインは4位で、1ポイント差でハッキネンがアーバインの上に出ました。
 この12戦でフレンツェンが再び勝って実力を証明しました。

 次の、第13戦でハッキネンはリタイアとなり、1ポイントを稼いだアーバインが並びます。

 残るは3戦で、二人はポイントで並んでいました。勝ち星の差でハッキネンが1位となっています。

 第14戦でスチュアートに乗るハーバートが優勝すというサプライズがあり、アーバインはリタイアしてしまいます。しかしハッキネンは5位に入り2ポイントを積み上げました。

 そして最後の2戦はシューマッハが復帰し、最強のドライバーのサポートを受けてアーバインが反撃に出ます。

 第15戦のマレーシアでシューマッハに守られてアーバインが優勝し、3位になったハッキネンをポイントの上で逆転します。
 アーバインは70、ハッキネンは66で、運命の日本GPが来たのです。

 ここで、ハッキネンがチャンピオンの強さを発揮し、優勝します。
 アーバインが2位でも同点ですが勝ち星の差でハッキネンがチャンピオンです。

 結局アーバインは3位に終わり2年連続でハッキネンがチャンピオンになったのでした。

 日本のトップフォーミュラー経験者のワールドチャンピオンは夢と消えました。
 
 そしてフェラーリの悲願はこの年も達成されませんでした。

 20世紀最後の年、ミレニアムに向かって皇帝とフェラーリの戦いはまだ続くのです。
 

−−−−−−−−−−−−−−

ちょっと独り言


 1999年というのは、ノストラダムスの予言の年ですね。
 フェラーリというチームはコンストラクターズタイトルは途中でありましたが、1979年まで遡らないとワールドチャンピオンを輩出していません。

 その21年の間にフェラーリのライバルチームがいくつも消えていきました。
 いにしえの時代からナショナルカラーを背負ってマシンが走っていたころからイタリアンレッドのマシンがF−1のフィールドにはいました。

 見続けられる限り見守っていきたいものです。
 
posted by appiy at 02:48| Comment(3) | TrackBack(0) | F-1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月29日

M.ハッキネン(VS M.シューマッハ) の記憶

 さて、今回の98年のワールドチャンピオンはM.ハッキネンです。フライングフィンと呼ばれた男です。
彼はマカオでF−3で、シューマッハと1コーナーで激突しました。

 そのとき彼のほうが速いと言われていました。しかし勝ったのはM.シューマッハでした。

 フェラーリで3年目のM.シューマッハは満を持してチャンピオンを狙いに行きます。
 確かにフェラーリは速くなりました。

 しかし、その前にマクラーレンが立ちはだかりました。

 チャンピオンチームのウイリアムズは厳しい1年になりました。

 さてシーズンに目を向けましょう。

 開幕戦を制したのはM.ハッキネンでした。

 ブリヂストンタイヤを履いたマクラーレンはこの年、急速に速くなりました。

 第2戦でもハッキネンが優勝し、2連勝を飾ります。
 M.シューマッハはここまで3位1回で残念ながら、出遅れた形になりました。

 しかし、皇帝シューマッハの逆襲はここから始まります。

 第3戦で初勝利をあげます。2位はハッキネンで、ポイントは26対14でここで、12点差になります。

 第4戦はマクラーレンのD.クルサードが勝ち、シューマッハは2位に入ります。ハッキネンはここで初のリタイアを喫します。

 第5戦、第6戦でハッキネンは連勝しポイントランキングはダントツで1位です。46ポイントになったハッキネンのチャンピオンは決まりかと思われました。

 第7戦からシューマッハの反撃を始めました。
 ここから3連勝で、シューマッハは54ポイントまで上り詰めます。

 対するハッキネンはその間2位と3位で10ポイントを積み上げて56ポイントになっていました。二人のポイント差は10点です。

 しかしハッキネンも反撃します。
 第10戦から2連勝で、その間に6ポイントしか稼げなかったシューマッハとの差を24点に広げます。

 しかしめまぐるしく優勢が変わるこのシーズンは、まだシューマッハの反撃が始まるのであった。

 第12戦でシューマッハが優勝し、ハッキネンが6位になり9ポイントの差が詰まります。
 第13戦は共にリタイアとなり、差は15点差で第14戦を迎えます。

 残り3戦となった第14戦はシューマッハが勝ち、4位になったハッキネンとの差は8点差となります。

 運命の第15戦が始まります。予選はシューマッハがポールを、ハッキネンは3位となります。
 しかし、優勝をしたのはハッキネンでした。シューマッハは2位となり、12点差でチャンピオンはハッキネンとなったのです。

 最終戦は消化試合の日本グランプリで、ハッキネンが優勝します。
 
 ついにハッキネンはF−1のチャンピオンに上り詰めました。

 そしてフェラーリの悲願はこの年も達成されませんでした。

 シューマッハがフェラーリで栄光を掴むにはまだ試練が待っていたのです。

 皇帝とフェラーリの戦いはまだ続くのです。
 

−−−−−−−−−−−−−−

ちょっと独り言


 2007年のF−1シーズンが終わりました。
 話題の多いシーズンでした。

 この1年を、いずれ私は書くのでしょう。

 そのときどう書くのか、ゆっくりと考えましょう。
posted by appiy at 23:57| Comment(1) | TrackBack(0) | F-1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月30日

J.ビルヌーブ(VS M.シューマッハ) の記憶

 さて、今回の97年のワールドチャンピオンはJ.ビルヌーブです。彼はエンツォ・フェラーリが最後に愛したドライバーの息子です。
彼は日本でF−3に出たこともあったと思います。

 フェラーリで2年目のM.シューマッハはチャンピオンを狙いに行きます。
 フェラーリのセカンドドライバーは日本でも走っていたE.アーバインです。
 彼は、日本GPで最終ラップにセナを抜いて彼を怒らせてとても有名になりました。

 べネトンとマクラーレンは昨年と同じ体制です。
 チャンピオンチームのウイリアムズはヒルが抜けてフレンツェンが入りました。

 さてシーズンに目を向けましょう。

 開幕戦を制したのはD.クルサードでした。

 しかし、彼は、この後苦戦を強いられます。第13戦で2勝目をあげますが、その間にとったポイントは入賞2回でわずかに4点です。
 僚友のハッキネンは最終戦に優勝するものの、厳しいシーズンでした。
 それでも、徐々にメルセデスのエンジンは力を発揮し始めます。

 第2戦でビルヌーブが優勝し、次も勝って2連勝を飾ります。
 M.シューマッハは2位こそありますが、第4戦も2位で、フレンツェンの優勝を止められず、ウイリアムズはチームとして3連勝します。

 しかし、皇帝シューマッハの逆襲はここから始まります。
 ビルヌーブもこのシューマッハと渡り合います。

 第5戦で今シーズンの初勝利を飾ったシューマッハは、ポイントリーダになります。
 しかし第6戦は4位で、優勝したビルヌーブに再逆転を許し、ポイントは30対27で、3点差の2位になりました。

 しかし第7戦を制したシューマッハがリタイアしたビルヌーブを再度逆転し37対30で、逆に7点の差をつけます。

 第8戦もシューマッハが制し、4位で3ポイントだったビルヌーブとの差は14になりました。

 ここで、シューマッハの王者への展開が決まったかに思えました。
 しかし第9戦をビルヌーブが制し、シューマッハのリタイアで差は4まで縮まります。

 このあたりから不振のマクラーレンを押しのけてベネトンのアレジがランキングをあげてきていましたが、チャンピオンは厳しい状況です。
 彼はこの年2位は4回で、ランキングは上位に来ますが、優勝はできませんでした。

 第10戦はベネトンのベルガーで、シューマッハは2位に入ります。ビルヌーブはリタイアして差は10まで広がりました。

 ベルガーはこの年、この優勝以外は2位が1回、4位3回、6位2回ともうひとつ伸ばしきれませんでした。

 アレジもベルガーも速いのですが、開発能力の点でもうひとつだったのかなと私は思っています。

 さて、第11戦で、ビルヌーブが勝って5勝目を挙げますが、シューマッハも4位に入り差は3残してシューマッハの上に立てません。

 第12戦ではシューマッハが制し、ビルヌーブが5位で、差は11に開きます。

 第13戦はやっと巻き返してきたクルサードが制し、ビルヌーブは5位、シューマッハは6位で、その差は1つ縮んで10です。

 残りは4戦、どちらが制するかシリーズは盛り上がってきます。

 第14戦で、ビルヌーブが6勝目を挙げますが、6位だったシューマッハが1ポイントを稼ぎ、ランキングの逆転を許しません。

 そして第15戦で、ビルヌーブが勝って、シューマッハがリタイアし、ついにビルヌーブが逆転し、9ポイントの差をつけます。

 しかし、追い込まれた皇帝は強い、続く第16戦の日本GPに見事に勝利し、リタイアしたビルヌーブを再逆転し、ポイントは1で、最終戦を迎えます。

 このとき既に、疑惑が浮上していたシューマッハでしたが、最終戦に挑みました。

 結果はシューマッハはリタイア、ビルヌーブは3位に入り逆転でチャンピオンを決めました。

 結局シーズン後シューマッハのポイントは剥奪となりましたが、ビルヌーブはポイントでシューマッハに競り勝ってチャンピオンになったのでした。

 最終戦を制したのはハッキネンで、彼の時代が始まりつつあります。

 中野はプロストから出て2ポイント、右京はミナルディから出てノーポイントでしたが、彼の実力がすごかったのは、日本GPで昨年より7秒速くなったのはミナルディだけという一言に集約されます。
 彼のチームメートはJ.トゥルーリでした。
 
 皇帝の逆襲は始まりました。まだ頂点には帰れませんでしたが、王者としての速さは健在です。
 そしてマカオ以来の因縁のライバルハッキネンも上がってきました。

 ついにこの二人は翌年ガチンコの対決となります。

 フェラーリからのワールドチャンピオンは1979年まで遡らなければ出ていません。
 シューマッハを以てしても、フェラーリの悲願は果たせないのか、70年代から走っているチームが移り変わっていく中で、フェラーリの地位は揺るぎませんが、チャンピオンの輩出という1点がなされないのです。

 皇帝とフェラーリの戦いはまだ続くのです。
 

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ちょっと独り言


 J.ビルヌーブの父もJ.ビルヌーブと書きますがジル.ビルヌーブと読みます。
 彼は、かつて70年代に開かれた富士での日本GPに出て、1コーナーで吹き飛んだ大事故の一人です。
 観客が2名死亡したことでF−1は長らく日本に来ませんでした。

 世界耐久選手権が日本で開かれるなど、世界の名だたるチャンピオンシップが日本で開かれるにもかかわらず、なかなか開かれず、86年までかかりました。

 そしてついに富士にF−1が帰って来ました。
 歴史に立ち会えないのは残念です。

 さて、F−1日本GP、誰が勝つのか楽しみにしています。
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2007年08月26日

D.ヒル(VS J.ビルヌーブ) の記憶

 さて、今回の96年のワールドチャンピオンはD.ヒルです。彼は初代モナコマイスターのG.ヒルの息子です。
M.シューマッハはフェラーリに移籍し、チャンピオンは厳しい状況です。

 M.シューマッハを失ったベネトンはJ.アレジとG.ベルガーの二人をフェラーリからそっくり持ってきました。
 マクラーレンは、ハッキネンとクルサードの体制になています。
 そしてフェラーリのNo.2はE.アーバインです。

 さてシーズンに目を向けましょう。

 開幕戦を制したのはD.ヒルでした。

 しかも、2,3戦目も.ヒルが制します。
 第4戦をビルヌーブが制し、ウイリアムズは4連勝です。

 第5戦もヒルが勝って手がつけられません。

 しかし、第6戦のモナコでストップ・ザ・ウイリアムズを果たしたのは、なんとリジエに乗るO.パニスでした。
 第7戦でシューマッハが勝ったのですが、チャンピオンの行方はウイリアムズで決まりの雰囲気でした。

 ヒルは8,9戦に連勝し磐石な状態になっていきます。ビルヌーブも安定感で、食い下がりますが第10戦を制しても次の第11戦でヒルが勝ちもう手がつけられません。

 第12戦でビルヌーブが勝ちますが、この時点でヒルは79点で、ビルヌーブは62点ですのでかなり厳しい状態です。

 そこからシューマッハが2連勝して盛り上げますが、チャンピオンシップ的には、ヒル81点、ビルヌーブ68点で、残り2戦で13点差です。

 そして15戦のポルトガルでビルヌーブが勝って、ヒルは2位になり、ヒル87点、ビルヌーブ78点で可能性をかろうじてつないで最終戦になったのです。

 第16戦は日本GP。
 ビルヌーブがリタイアした時点でチャンピオンが確定しました。ヒルは優勝で有終の美を飾りました。

 今シーズンはウイリアムズのシーズンでした。
 ベネトンはアレジが4度2位になるも、1勝もできませんでした。
 一説には昨年までシューマッハが乗っていたマシンはアレジには会っていましたがベルガーには会わず、さりとてアレジには開発能力が足りず、後一歩上にいけなかったようです。

 この年の勝者は4人、ヒル、ビルヌーブ、シューマッハ、パニスが勝利を分け合いました。

 ランキングはヒル、ビルヌーブ、シューマッハ、アレジ、ハッキネン、ベルガー、クルサード、バリチェロ、パニス、アーバインの順となりました。

 片山右京はノーポイントでシーズンを終えます。
  
 さて、皇帝の時代はまだまだ続きます。決して勝ちっぱなしではありませんが、かれはずっと中心です。

 1997年になって皇帝の逆襲が始まります。

−−−−−−−−−−−−−−

ちょっと独り言


 この年は鈴鹿でチャンピオン決定の瞬間を見た私です。

 2007年のシーズンもマクラーレンの優勢は動かないのですが、ドライバー二人の確執が話題になっています。
 そうでもしないと盛り上がらないのでしょうかねえ。
 
 ライコネンは、逆襲に出るのか、鍵はマッサが握っているのかな。
 トヨタは頑張ってほしいですね。
 ホンダはもっとガンバらないとね。
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2007年07月28日

M.シューマッハ(VS D.ヒル) の記憶

 さて、今回の95年のワールドチャンピオンは皇帝M.シューマッハです。彼は2年連続のチャンピオン獲得です。
ついに皇帝の時代に入りました。

 プロスト世代、セナ世代の有力ドライバーたちがいなくなり、皇帝が席巻します。
 これに対抗したのは、D.ヒルでした。

 マシンはウイリアムズは優れていました。前年のベネトンはシューマッハ一人で戦っていたようなものでした。
 しかしこの年、ベネトンのセカンドドライバーだったJ.ハーバートはベネトンで2勝をあげます。

 余談ですがJ.ハーバートは、ルマンでマツダが優勝したときのドライバーで、彼にとってもこの年は輝ける年でした。

 さてシーズンに目を向けましょう。

 開幕戦を制したのはM.シューマッハでした。

 しかし、2,3戦目をD.ヒルが制します。
 第4戦をシューマッハが制し、1ポイント差で首位に立ちます。

 結果から言えば、この後差が縮まったのは第10戦と最終戦だけですから、シューマッハの圧勝のシーズンでした。

 第5戦をシューマッハが制し、ヒルは2位で、差は5ポイント差になります。
 第6戦はシューマッハは5位で2ポイントでしたが、ヒルがリタイアで、7ポイント差になります。

 この第6戦はカナダGPですが、J.アレジが初優勝します。
 彼はこの優勝が生涯最後のF−1での優勝でした。
 速さを持ちながら、彼は栄光に届きませんでした。

 一説には、マシンを開発する能力が足りなかったと言われています。
 そしてそのチームメイトのベルガーもアレジよりは開発能力があったのでしょうが、ベルガーにあったマシンはアレジには合いませんでした。

 この話はまたどこかでしましょう。
 
 さて、第7戦をシューマッハが制し、ヒルは2位で、差は11ポイント差になります。
 第8戦は共にリタイアでした。

 第9戦で、シューマッハが優勝して、ヒルがリタイア。第10戦がその逆です。
 結局10戦終わって11ポイント差でした。

 まだチャンピオンシップの行方はわからないと誰もが思っていました。

 しかし、このシーズンはこの後一方的になるのです。

 第11戦でヒルは2位ですが優勝はシューマッハで、差は15ポイント差になりました。
 第12戦は共にリタイアして変わらずです。

 そして第13戦は2位シューマッハ、3位はヒルで、17ポイント差、残りは4戦です。
 このレースに勝ったのはウイリアムズのD.クルサードでした。

 第14戦でシューマッハが優勝してヒルは痛恨のリタイアとなり、3戦残して27ポイント差となり絶望的な点差になりました。
 シューマッハはマジック4ですね。
 後4ポイント取ればチャンピオンが確定です。

 そして史上初、日本で行われた2連戦です。
 
 日本でF−1が開催されたのは3コース目となりました岡山でシューマッハが優勝してチャンピオンを決めました。
 ヒルは3位でした。

 続く鈴鹿の日本GPでしたが、ここでもシューマッハが勝って、ポイントは102となりました。
 最終戦にリタイアしてもおつりが来るポイントでした。
 ヒルは最終戦を制し、シーズン4勝目を挙げますが、時すでに遅しでした。

 終わってみれば全17戦中シューマッハが9勝、ハーバートが2勝しているのでベネトンは11勝で圧勝です。
 ウイリアムズはヒルの4勝とクルサードの1勝で5勝どまりでベネトンの半分も勝てませんでした。

 残りひとつはアレジのフェラーリでした。
  
 さて、皇帝の時代はまだまだ続きます。21世紀まで彼の時代は続くのです。
 
 さて90年代からある特徴が出てきます。

 それは日本でレースキャリアを積んだドライバーたちの活躍が目立つようになることです。

 その話は折々としていきましょう。



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ちょっと独り言


 私自身は前年のモナコGPを見て以来、鈴鹿に行った年でもあります。

 既に消化試合になっていましたが、やはり面白かったです。
 とはいえリゾートな気分満載のモナコと比べるとかなり違いますね。

 ゆったりとF−1を見たいと思ったらモナコが一番でしょうね。
 モナコにでも住めたらGPの方から来てくれる訳で、それもいいなあと思う私です。
 
 さて、2007年もやっと1周目の1コーナーを制したもの以外が勝つようになってきて、面白くなってきました。
 ハミルトンは面白いですが、まだもうひとつですね。というか、まとまってしまうには早いように思えます。

 アグレッシブな若手と老練なドライバーとの駆け引きもF−1の魅力ですからね。

 ライコネンにも感じましたが、若いドライバーがうますぎて面白くなかったのですが、ちょっと面白くなりそうです。 

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2007年06月24日

M.シューマッハ(VS D.ヒル) の記憶

 さて、今回の94年のワールドチャンピオンは皇帝M.シューマッハです。彼はこの年の初めてのチャンピオン獲得です。
ついに皇帝の時代が突然やってきました。

 この年は世代交代の象徴のような年でした。

 黄金時代と思われたウイリアムズは、ベネトンというよりシューマッハに敗れます。
 しかしベネトンのセカンドドライバーは、この年2人が乗りましたが3位を2回フェルスタッペンがとった以外ぱっとしません。

 そしてセナが移籍したウイリアムズですが、セナは開幕から3戦連続でポールをとりますが、3戦連続でリタイアします。

 その3戦目のサンマリノでセナはレース中の事故で、その人生にピリオドを打ちます。
 流れ星のように輝きを放って、彼は去っていってしまいました。

 フジテレビのF−1中継はレースの様子はほとんどなく、前代未聞だと思いましたが、あれで許されるのはスポーツ中継としてどうかと私個人は思いました。

 セナ中継ではなくF−1中継なのですから。

 開幕3連勝を飾ったのはM.シューマッハでした。

 そしてモナコGPを迎えました。
 ちょっとここを書くのは、個人的に実際に見てきたからです。

 モナコでも一人のドライバーがこの世を去りました。

 それでもGPは続くのです。

 木曜日にアレジのフェラーリが、トンネル後のシケイン出口でマシンを止めてそこのスタンドに向かって手を振ってアピールしていました。
彼もまた、GPを盛り上げてくれました。

 土曜の予選の時のスタンドに渡るための船が波が荒くて、出なくて、バスに乗ってGPコースを走ってスタンドに移動したのもいい思い出です。
コース上から、すべてのチームのピットを見ることもできました。

 決勝レースはプールのあるコの字のコーナーの海側からの観戦でした。
 はっきりいってシューマッハだけが別次元の速さでした。

 彼の4連勝を見届けたモナコGPでした。

 セナの死が、D.ヒルをチームのエースドライバーにしました。
 そして、ストップ・ザ・シューマッハを果たしのも彼でした。

 それでもシューマッハの勢いはとまらず、続く2戦を連勝し、7戦終わって6勝と圧倒的だったのです。

 しかし、このシーズンは最後の最後までもつれるのです。

 地元イギリスGPでヒルが再び、シューマッハを止めます。

 シューマッハの地元ドイツGPはシューマッハがリタイアし、ヒルは8位に終わり共にノーポイントですが、この年のベネトンとウイリアムズ以外の唯一の勝利をフェラーリのベルガーが挙げます。
この時点でポイントはこうなっていました。

1位M.シューマッハ 76ポイント
2位D.ヒル     39ポイント

 続く第10戦のシューマッハの優勝で、もうチャンピオンは確定と誰もが思っていました。

 ところが、神様のシナリオはGPを盛り上げにかかっていました。
 3戦連続でシューマッハはポイントを取れませんでした。
 しかし、ヒルは3連勝を揚げたのです。

かくして13戦終了時点で二人のポイントはこうなったのです。

1位M.シューマッハ 76ポイント
2位D.ヒル     75ポイント

 にわかに、GPは盛り上がってきました。
 第14戦のヨーロッパGPはシューマッハが1位でヒルが2位
 第15戦の日本GPはヒルが1位で、シューマッハが2位

 第16戦のオーストラリアでの最終戦を残して再び二人は1ポイント差になったのです。
 
 そして運命のオーストラリアで2台は接触して共にリタイアします。

 そしてレースはシーズン途中でウイリアムズに復帰したマンセルが自身のレースキャリアで最後のF−1GP優勝を遂げました。

 ついにシューマッハがチャンピオンになりました。

 新しい時代が一気にやってきました。
 
 ポイント上は苦戦したものの、シューマッハは1年のGPの半数の8勝を挙げたのです。

 そしてF−3時代からのライバルM.ハッキネンもシリーズ4位になりました。

 90年代の主役たちは、出揃いつつあります。

 あとひとり、J.ビルヌーブはまだもう少し先に登場します。

 この4人のチャンピオンになる男たちの時代がやってきました。



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ちょっと独り言

 個人的には94年はモナコGPを生で見た生涯の記念すべき出来事のあった年です。
 そしていろいろな出来事がありました。

 この年ついに世代交代がありました。

 私の個人的な印象では、70年代の前半までに速かったドライバーたちを駆逐して、70年代後半のドライバーたちが活躍しました。
ラウダ、ハント、アンドレッティ、シェクターの世代です。

 次の世代80年代後半から出てきた、プロスト、ピケ、マンセル、セナの時代です。
 世代闘争を演じて勝ち取ったのはピケとプロストといえます。
 マンセルは時代的には前のほうですが、セナ世代が後期、ピケ世代が前期でしょう。

 そして90年代後半組です。いよいよ彼らの時代が来ます。

 間に埋もれてしまったのが、ベルガーやアレジの世代でしょう。

 今再び世代交代が来ています。
 
 記録よりも鮮烈なまでの記憶に残るドライバーもまた、出てくるでしょうか。
 楽しみに今もF−1中継を見ています。
タグ:F-1
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2007年05月19日

A.プロスト(VS A.セナ) の記憶

 さて、今回の93年のワールドチャンピオンはA.プロストです。A.プロストは4回目のチャンピオン獲得です。
プロフェッサーと呼ばれた彼も、昨シーズン休んで、今シーズンが最後の年となりました。


 対するはA.セナ。音速の貴公子と呼ばれた彼はHONDAエンジンを失い、ウイリアムズに乗れるならお金は要らないとまでいいましたが、その望みは叶いませんでした。

 この年、一番割りを食ったのは私の敬愛するM(マリオ).アンドレッティの息子M(マイケル).アンドレッティだったでしょうか。
 彼は結局、セナにチームが振り回される中で割を食って、シーズン途中でアメリカに帰ります。
 その、M.アンドレティに変わって最後3レースのシートを得たのがM.ハッキネンです。

 そして、プロストのチームメイトはD.ヒル彼も偉大なるF−1ドライバーG.ヒルの息子です。

 世代交代の役者が揃ってきました。

 しかし、80年代を席巻したこの二人は、この年の主役を譲り渡しません。

 そして最後のセナ−プロ対決のシーズンが始まりました。

 開幕戦を制したのはプロストです。しかし、続く2レースは雨などもありセナの奮戦でセナが2連勝し、GPを盛り上げます。
 しかし、そこからプロストが2連勝してセナを抜き返します。

 5戦終了時点で、プロストは34ポイント、セナは32ポイント。実に盛り上がっていました。

 しかし、マシンの戦闘力ではプロストのウイリアムズのマシンが圧倒的でした。だからセナがどこまで持ちこたえるかという観点で見ていたのは確かです。

 それでもセナは頑張りました。第6戦を制して、再びポイントリーダになります。

 しかし、セナの反撃もここで止まってしまいます。プロストが一気に7戦から4連勝してしまったのです。

 これでチャンピオンシップはほぼ決まってしまいました。第10戦の終了時点でポイントはこうなっていました。

1.A.プロスト   77
2.A.セナ     50
3.M.シューマッハ 36
4.D.ヒル     28

 残り6戦で27点差は厳しいものでした。

 そして11戦からD.ヒルが3連勝してしまいます。
 しかし、その3戦でプロストが稼いだのは4ポイント、セナは3ポイントでした。

 13戦終了時点ではこのようになっていました。

1.A.プロスト   81
2.D.ヒル     58
3.A.セナ     53
4.M.シューマッハ 42

 そして、第14戦で皇帝M.シューマッハが、今シーズンもしぶとく1勝をもぎ取りました。
そして、プロストが2位に入りチャンピオンを決めました。


1.A.プロスト   87
2.D.ヒル     62
3.A.セナ     53
4.M.シューマッハ 52 


 消化試合となった残り2戦ですが、セナが2連勝して、今シーズンを締めくくりました。

 最終結果はこのようになりました。

1.A.プロスト   99 7勝
2.A.セナ     73 5勝
3.D.ヒル     69 3勝
4.M.シューマッハ 52 1勝

 
 この年のウイリアムズも圧倒的でした。16戦中10勝を挙げました。
 ウイリアムズでなければ、セナかシューマッハでなければ勝てなかったのです。

 セナもプロストも実はこのシーズンが最後の勝利を挙げたのシーズンとなりました。
 翌年から世代交代が一気に進むことになります。

 長いことチャンピオンシップ争いに参加していたマクラーレンがしばらく耐えるシーズンに突入します。
 
 そしてウイリアムズも試練を迎えます。

 いよいよ90年代の主役たちの時代に突入していくのです。



−−−−−−−−−−−−−−

ちょっと独り言

 今年(07年)の4戦目も1週目の1コーナーをトップで抜けたものが優勝してしまった。
 この記録はどこまで続くのか気になるなあ。

 この先どうなるんでしょうね。

閑話休題

 この年皇帝M.シューマッハが2勝目を挙げました。
 翌年、彼は一気に飛躍します。

 ここからは、シューマッハvs誰かの時代が続くのです。

 
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2007年04月23日

N.マンセル(& R.パトレーゼ) の記憶

 さて、今回の92年のワールドチャンピオンはN.マンセルです。N.マンセルは大英帝国で4人目のチャンピオンです。
彼は苦労してチャンピオンになりました。
 長い道のりでした。一度は引退を表明して、フェラーリを辞めてそこでウイリアムズと契約し、2年目でチャンピオンになりました。

 この年のウイリアムズは圧倒的でした。リ・アクティブサスペンションの威力は甚大で、彼は開幕から5連勝してしまいます。
 チャンピオンシップとしてはもう勝負がついてしまったかのようでした。

 ディフェンディングチャンピオンのセナとマクラーレンは、苦戦します。
 第6戦のモナコで、マンセルに不運があり、セナは最後にトップに立ち、マンセルを抑え切って優勝しますが、その速さの差は歴然でした。

 第7戦のカナダでは、マンセルも僚友のパトレーゼもいなくなり、そしてセナも消えて、優勝はベルがーでした。
 これがマクラーレンの2勝目になります。

 この後、マンセルは3連勝してしまいます。
 もう手がつけられません。

 第10戦でただ一人86ポイントを獲得していましたから、チャンピオンは時間の問題でした。

 第11戦のハンガリーはセナが今期2勝目ををあげますが、マンセルは2位になります。
 この時点で、

1.N.マンセル 92
2.R.パトレーゼ 40
3.A.セナ 34
4.M.シューマッハ 33
5.G.ベルガー 24

 で、チャンピオンが決まってしまいました。
 それほど圧倒的でした。

 この年、もっとも印象的な出来事が次のベルギーで起きます。

 M.シューマッハの初優勝です。彼のマシンにはセミオートマも、リ・アクティブサスペンションもありませんでしたが、見事な作戦勝ちで初優勝を遂げたのです。

 続くイタリアはセナが3勝目を上げますが、その次のポルトガルではマンセルが勝って年間9勝を達成します。

 そして日本GP。

 マンセルは圧倒的でした。ところが、途中のシケイン出口で謎のストップ。
 しばらくして走り出し、僚友パトレーゼにトップを譲ります。
 その後、マンセルのマシンはトラブルが出て、リタイアしますがセナの作った悪しき風習とも言われたトップを譲るの行為でした。

 まあ、結果的にリタイアしたのでそんなにもめませんでしたが。

 日本GPの表彰台はすべてセカンドドライバーでした。
 こんなこともあるものですね。

 さて最後のオーストラリアはベルガーが勝って、シーズンは終了。

 ウイリアムズに死角なしの1年でした。

 この強さの影響でストーブリーグは熱くなります。
 マンセルはチャンピオンを取りながら、アメリカのレースに移籍してしまいます。

 HONDAエンジンは撤退し、1年休んだプロストがウイリアムズ入りします。

 そしてHONDAを失ったセナが叫びます。
「ウイリアムズに乗れるならお金は要らない!」

 その結果、一番割を食ったのは、M.アンドレッティかな?

 その話は次回しましょう。

最終結果です。

1.N.マンセル  108 9勝
2.R.パトレーゼ  56 1勝
3.M.シューマッハ 53 1勝
4.A.セナ     50 3勝
5.G.ベルガー   49 2勝



−−−−−−−−−−−−−−

ちょっと独り言

 今年(07年)のF−1も3戦が終わってあることに気がつきました。
 1週目の1コーナーにトップだった人間が必ず勝っています。
 そこで、レースとしては終わってしまっているのでしょうか?

 この先どうなるんでしょうね。

閑話休題

 この年皇帝M.シューマッハがマンセルに競り勝って初優勝を遂げました。
 ここから彼は必ず1勝以上していきます。

 徐々に皇帝の時代へ向かっていきますが、A.プロストが帰ってきてマンセルがいないF−1に話題をもたらします。

 HONDAエンジンがいなくなったF−1が続きますが無限は活動を続けます。

 世代交代の波は、もうそこまで来ていました。
 
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2007年03月24日

A.セナ(vs N.マンセル) の記憶

 さて、今回の91年のワールドチャンピオンはA.セナです。A.セナは3度目のチャンピオン獲得です。
 
 この年、マクラーレンに乗るセナの相手になったのは、プロストではありませんでした。
 フェラーリは一気に転落してしまいました。

 そして、セナの相手をしたのは、引退を撤回してウイリアムズ入りをしたマンセルです。

 この年はM.シューマッハのデビューした年でもあります。ライバルM.ハッキネンもロータスのレギュラーシートを取りました。

 ではシリーズを振り返ります。

 タイトル争いの序盤はマクラーレンでした。
 セナは第4戦まですべてに勝ちました。
 シーズンはもう決まりだろうと誰もが思っていました。

 第5戦で優勝したのはピケでした。これは彼にとって最後の優勝だったのではないかと思います。

 ウイリアムズが反撃に出たのは第6戦からでした。まず第6戦をパトレーゼが制します。
 そして第7戦から9戦までマンセルが3連勝し、チャンピオン争いを盛り上げてくれました。

 第9戦終了時点でセナは51ポイント、マンセルは42ポイントで、盛り上がってきました。

 しかし、そこからセナが2連勝してその2千で6ポイントしか取れなかったマンセルとの差が開きます。

 ですが、ウイリアムズもがんばります。続く3戦をマンセル、パトレーゼ、マンセルの順で勝ち、何とかチャンピオンシップの可能性をつなぎました。

 この時点で、セナは85ポイント、マンセルは69ポイントで僅かですがマンセルには望みがあったのです。

 日本GPの前に、M.シューマッハの話をしておきましょう。

 彼は、第11戦ベルギーGPでデビューします。しかし、決勝でスタートから700mでリタイアします。
 彼はジョーダンチームでデビューしたのですが、この直後、電撃移籍でべネトン入りをします。

 そして、ピケが彼を評して、「奴は速い」と言いました。

 そこから3戦連続でシューマッハは入賞します。やはり並みの新人ではないようです。

 で、話を戻して第15戦の日本GPです。

 マンセルはレース中ずっとセナに抑えられています。
 そしてついに、マンセルはリタイアしてしまうのです。

 この瞬間に、この年のチャンピオンはセナに決定しました。

 その後のセナは恐ろしく速かった。
 そしてトップを独走するベルガーのエンジン音が・・・。

 しかしベルガーは走り続けます。しかしセナが背後に迫ります。
 そしてついにセナがトップに立ちます。

 しかし、セナはベルガーを従えて走り続けます。
 そしてレース前の約束どおり、最終ラップの最終コーナーでベルガーを先行させて優勝を譲りました。

 鈴鹿で見ていた自分としては釈然としないものがありましたが、こういうものかもしれません。


 そしてオーストラリアは規定周回数に届かずレースが成立してポイントは半分となりましたがセナが勝ちました。


最終成績は以下の順です
1位 A.セナ    96
2位 N.マンセル  72
3位 R.パトレーゼ 53
4位 G.ベルガー  43
5位 A.プロスト  34
6位 N.ピケ    26.5

 マクラーレンとセナはこの年を制しました。
 しかし、マンセルとの戦いは翌年も続いていくのです。

−−−−−−−−−−−−−−

ちょっと独り言

 91年はセナーマンセル対決だった年でした。 
 オーバーテイクボタンが登場したのもこの年です。

 マンセルはセナを追い詰めましたが、この年は届きませんでした。
 しかし、翌年ウイリアムズの脅威の新兵器、リ・アクティブサスペンションがマクラーレンに襲い掛かります。

 そして皇帝M.シューマッハがマンセルに競り勝って初優勝を遂げるもの92年のことです。
 皇帝の時代はまだ来ません。

 しかし彼の時代の前に立ちはだかった80年代のドライバーたちとの戦いは本番を迎えます。
 それはフォードエンジンにとっても久々の勝利にもなるのです。
 
−−−−−−
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2007年02月24日

A.セナ(vs A.プロスト) の記憶

 さて、今回の90年のワールドチャンピオンはA.セナです。A.セナは2度目のチャンピオン獲得です。
 
 この年、プロストがフェラーリに移籍してセナープロ対決が激しくなります。
 この年は6人の人間が優勝しています。チームでは4つ。マクラーレン6勝、フェラーリ6勝、ベネトンとウイリアムずが2勝です。
 ドライバー別では、セナの6勝を頭に、プロストの5勝、ピケの2勝、マンセル、ブーツェン、パトレーゼが各1勝でした。

 さて、この年話題をさらった一人のドライバーがいました。
 J.アレジです。

 開幕戦のアメリカでセナとトップ争いをして2位になった彼は時の人となりました。
 しかし、彼はF−1での優勝は悲しいかな1つだけです。

 速かったんですけどねえ。

 タイトル争いの序盤はマクラーレンでした。
 セナは第5戦までに3勝を上げます。

 プロストは第2戦に優勝します。これは彼にとって40勝目だったと記憶していますが・・・。

 第3戦はパトレーゼで、今年の彼の唯一の勝利です。
 続く4,5戦はセナが制してチャンピオンシップはもう決まったのではないかと思われました。

 このあたりからプロスト&フェラーリの反撃が始まります。
 なんと3連勝で第8戦終了時点で、41ポイントとなって、39ポイントのセナを逆転してリードしたのです。

 しかし、セナ&マクラーレンは続く4戦で3勝と2位が1回の33ポイントを積み上げてしまいます。
対するプロストは15ポイントしか積み上げられません。

 この時点でタイトルの行方は既に決まりかけていました。
12戦終了時点で、セナは既に72ポイントもとっていました。

 プロストは56ポイントで、残りは4戦ですから16ポイント差は厳しいものでした。

 続く13戦でフェラーリのマンセルが優勝しますが、プロストはセナの後ろで3位となり、差は更に開きました。
 セナは78ポイント、プロストは60ポイントです。しかも有効入賞回数の11回目の入賞をしてしまったプロストは、ポイントを伸ばすのは苦しくなりました。

しかしセナもまた11回目の入賞をしていました。

 続く14戦でセナはリタイアしますが、プロストは優勝を遂げます。

 有効ポイントは、セナが78、プロストは7増えて、67です。
 11点差、有効ポイント上は、プロストが2連続で優勝すれば、12ポイント積み上げられる状況でしたから可能性はありました。
 しかしセナは2位に1回入れば2ポイント積み上げられるのでチャンピオンが決まる状況でした。


 そしてこの年も運命の第15戦日本GPがやってきます。
 予選はセナが1位、プロストは2位です。

 世界中の誰もがセナがそこまでのことをする必要性はなかったと思っていました。

 しかし、決勝がスタートすると、プロストが前に出ます。第一コーナーでセナはプロストのインから進入します。
2台がもつれ合って、エスケープゾーンに消えていきます。

 こんな結末を観客は望んではいなかったはずなのに、ここで2台のレースが終わるとともに、今年のタイトル争いも終わりました。

 さて、このレースの悲劇はまだ続きます。
 トップに立ったベルガーが2台の消えた1コーナーで2台が撒き散らした砂に乗って、コースアウトしてレースを終えてしまったのです。

 これでレースをリードしたのはマンセルでした。

 彼もピットインした後に、リタイアしてしまいました。

 タイトルを争う2チームの4台が揃ってコース上にいないレースになってしまいました。

 さて、レースはノーピット作戦で走りきったベネトンの2台が、1−2フィニッシュでゴールします。
ピケは久しぶりの優勝でした。

 そして3位に日本人としてはじめて鈴木亜久里がなりました。

 わだかまりの残るレースになってしまいました。

 セナは無理に行かなくてもチャンピオンになれたはずでした。その思いは私にはありました。

 しかし、日本人が初めてF−1の表彰台の上に立った瞬間でもありました。
 
 こうして、このシーズンは・・・

 ああ、まだ16戦のアデレードが残っていました

 ピケが最後のレースも勝って2連勝を遂げて、今シーズンは終わりました。

 マンセルが2位、プロストは3位でした。

最終成績は以下の順です
1位 A.セナ    78
2位 A.プロスト  71
3位 N.ピケ    43
4位 G.ベルガー  43
5位 N.マンセル  37
6位 T.ビーツェン 34

 こうして90年代最初の年は終わりました。
 しかし、まだ戦いは続いていくのです。

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ちょっと独り言

 90年はセナープロ対決の一番泥沼だった年でした。 
 セナの時代はこの年からです。

 しかし、翌年はウイリアムズの秘密兵器オーバーテイクボタンとN.マンセルが彼に襲い掛かります。
 フェラーリは翌年から戦闘力を失っていくのです。

 しかし91年に皇帝M.シューマッハがついに登場してきます。
 彼のライバルM.ハッキネンもやってきます。
 彼らはセナ−プロのように、マカオF−3で激突したことで有名になっていました。

 彼らの時代の前に立ちはだかった80年代のドライバーたちとの戦いはもうすぐ始まります。

 それは92年あたりから徐々に、始まっていくのです。

 
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2007年01月27日

A.プロスト(vs A.セナ) の記憶

 さて、今回の89年のワールドチャンピオンはA.プロストです。A.プロストは3度目のチャンピオン獲得です。
 
 この年、セナープロ対決が激しくなります。
 この年はHONDAエンジンは年間16戦中10戦を制することになります。
 88年に比べるとずいぶん減った感がありますが、圧勝でした。 

 さて、タイトル争いに目を移しましょう。

 開幕戦はマンセル(フェラーリ)が制します。
 セミオートマのバタフライシフトの記念すべき初勝利でした。

 開幕までトラブル続きだったこのセミオートマ機構が緒戦で完走してしまい、優勝してしまったのはちょっとしたニュースでした。
 しかし、安定感が出てくるのはシーズン中盤以降でした。

 第2戦からセナが3連勝します。

 プロストの初勝利は遅くて5戦目です。しかし、開幕から2位が3連続など、プロストらしいポイントの積み上げ方をしています。

 第6戦でウイリアムズのT.ブーツェンが勝ちます。200戦以上経験してからの初優勝は記録です。
 このとき2位はR.パトレーゼでウイリアムズの1,2フィニッシュでした。

 そしてプロストは第7戦、第8戦を連勝します。第5戦から第8戦までノーポイントだったセナは3連勝の27点です。
対するプロストは優勝3回、2位3回、5位1回で、44点と大きくリードしました。

 第11戦までの時点で、プロストは2位2回、4位1回を積み上げました。
 対するセナは優勝2回、2位1回と追い上げモードです。

 プロストは59点、セナは51点で、最後までもつれそうな展開になってきました。

 第12戦でプロストが勝利しセナはリタイアし、68点対51点とセナは追い込まれます。しかしプロストはこれで11回の入賞で、有効点はこれからは大きくは増えません。

 しかし第13戦で、セナは再びリタイアし、プロストは久々の勝利のベルガーについで2位となり有効点を4点積み上げました。

 第14戦で、セナが勝利し、プロストは3位となり、セナが60点になり、プロストは76点(有効点)となりました。

 残るは2戦です。セナはもう後がありません。

 そして運命の第15戦日本GPがやってきます。
 予選はセナが1位、プロストは2位です。
 決勝がスタートすると、プロストが前に出ます。レスダウンフォースにセッティングしたプロストのマシンは、バックストレッチから130Rまでが速く、セナもシケインで仕掛け切れません。

 ずるずると、週回数が増えていきます。
 そして、シケインで、セナは強引にプロストのインに飛び込みます。プロストも譲りませんでした。
 2台はシケインで接触。

 余談ですが、私の目の前で起きた接触でした。

 プロストはそのままリタイアし、セナはシケインショートカットしてコースに復帰します。

 その間にトップに立ったのはベネトンのA.ナニーニでした。

 ピットインしたセナが修理を終えて、激しい追い上げでした。
 そして、再びシケインで、セナはナニーニのインに飛び込みトップに立ったのです。

 2台がタイヤスモークを上げながらシケインへ飛び込んだ様は、今でも覚えています。

 この2台は、翌年のハンガロリンクでも接触しナニーニは飛ばされます。
 このときは接触しませんでしたが、セナの激しさは、恐ろしいほどでした。

 しかし、シケインの不通過でセナは失格になります。

 優勝はA.ナニーニとなりました。
 そしてチャンピオンはA.プロストとなりました。

 2人の確執は翌年も続くのです。

 さて、第16戦のアデレードについても今回は書きたいので書きます。

 書きたいことは予選23番手スタートの中島でした。
 
 かつて日本で雨の中島と呼ばれた事もある彼はこの日、優勝したブーツェンよりも注目を浴びました。
 このレースがロータスでの最後のレースとなった彼は、雨の中でファーステストラップをマークして追い上げます。

 そして順位はどんどん上がり、ついに4位まで躍進します。
 ヘアピンで3位のR.パトレーゼの真後ろまでつけましたがが、残念ながら3位の座は勝ち取れませんでした。
しかし、彼のパフォーマンスは日本中のファンの溜飲を下げる活躍でした。

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ちょっと独り言

 89年はセナープロ対決が激化します。
 セナはF−1ドライバーの間では受けがよくなかったようです。
 それは彼はリスクを犯すタイプのドライバーだったからといわれています。

 しかし、彼の速さは恐ろしいほどでした。
 
 セナの時代は翌年から来ます。
 しかし、プロストと、マンセル、この二人がセナを脅かします。

 皇帝M.シューマッハの登場はもう少し先です。

 90年代となって主役が交代するのはもう少し先のことなのです。
posted by appiy at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | F-1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする