2009年05月03日

第1回トヨタカップ の記憶

 久しぶりにサッカーの話題を書こうと思います。

 ワールドカップは82年から書いていますが、トヨタカップは80年、正確には81年の2月だったそうです。
 サッカーといえば日本はメキシコオリンピックが語り草で、その後、日本のサッカーは低迷していました。

 それが突然、世界一決定戦が日本で開かれる。
 日本テレビの特集か何かを見たのがきっかけで、これは見なくてはと思ったのを覚えています。

 勝ったのは南米のチームだったのを記憶していました。
 調べてみると、ナシオナル・モンテビデオ(ウルグアイ)が、ノッティンガム・フォレスト(イングランド)に1−0で勝っていました。

 高校サッカーを見る程度だった私にとっては、はじめて見る世界のサッカーでした。
 思えばこの頃からサッカーの凄さに魅せられていると思います。

 まだ、このときはその本当の凄さがわかっていなかった私でした。

 奥寺と尾崎がドイツで活躍していた頃です。

 何故日本で、サッカーの世界一決定戦が開かれるのか。
 ヨーロッパの歴史の教科書には、サッカーの母国はイングランドですが、サッカーの起源は日本の蹴鞠であると載っていた事にも寄るのでしょうか。

 その時の記憶は、曖昧で、ハーフタイムショーで蹴鞠が公開されたと記憶しています。

 私の原点は高校サッカーのテレビ観戦でしたが、本当に魅せられたのはここからだったのではないかと思っています。

 独り言のような第1回の記憶です。


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ちょっと独り言

 この年、この日一日は世界のサッカーの中心は日本だということが少し嬉しかった私です。

 この後、奥寺のいたブレーメンがブンデスリーガを制すかと思われた年がどこかであったのですが記憶が曖昧です。
 あの年、もしブレーメンがチャンピンズカップに進出し、もし、優勝していたら、故郷に錦を飾るだったのにとか勝手に想像した私でした。

 そしてダイヤモンドサッカーやダイナミックサッカーといった番組で細々と海外のサッカーを見るようになったのですけどね。

 まあ、思い出のひとつというところでしょうか。
posted by appiy at 23:56| Comment(1) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月13日

F.アロンソ(VS M.シューマッハ) の記憶

 さて、今回の2006年のワールドチャンピオンはF.アロンソです。

 M.シューマッハの最後の年、そして激戦の年でした。

 それではシーズンを振り返ります。

 開幕戦を制したのはチャンピオンF.アロンソでした。
 2位につけたのはM.シューマッハでした。昨年の屈辱をばねにフェラーリは巻き返してきました。
 ここでまずアロンソはシューマッハに2点差をつけました。

 第2戦はG.フィジケラが制しルノーは開幕2連勝です。アロンソも2位に付けポイントは18です。シューマッハは6位でポイントは11になりました。
これで二人の差は7に開きました。

 第3戦で、またしてもアロンソが勝ちます。
 シューマッハはリタイアしてノーポイントでした。これでアロンソが28となり11のシューマッハに17点差をつけました。

 さて、フェラーリの反撃が始まります。
 第4戦でシューマッハが勝ちます。しかしアロンソは2位につけてポイントはアロンソ36に対し、シューマッハは21でその差はまだ15もありました。

 第5戦シューマッハは再び勝って2連勝です。しかしアロンソは2位につけてポイントはアロンソ44に対してシューマッハは31でまだ13点差です。

 しかし、ここからアロンソが4連勝してしまうのです。
 なんとアロンソは9戦終わって優勝6回2位3回です。もっとも悪くて2位です。ありえない成績です。

 アロンソの4連勝の間、シューマッハは踏ん張りました。
 2位3回5位1回です。
 開いたポイントは12だけだったのです。
 アロンソの第9戦終了時点のポイントは84です。シューマッハは59で25ポイント差でまだ反撃しだいでチャンピオンはどう転ぶかわからない状況でした。

 9戦終わってアロンソとシューマッハはアロンソの7勝2敗って感じですから普通ならもっと差がついていたはずですが、シューマッハの踏ん張りは見事ともいえます。

 そしてシューマッハは再度反撃に出ました。
 第10戦から3連勝を飾ったのです。
 
 これでシューマッハのポイントは89です。
 その間のアロンソは5位、2位、5位となり、16ポイントを加えて100です。
 その差は11に縮まりました。

 第13戦は歴史的に価値のあるホンダのバトンの優勝で、ルノーとフェラーリ以外のこの都市の唯一の優勝者となりました。
 個人的にはホンダの優勝は感慨深いものがありました。
 さて、このレースで、アロンソはリタイアで、シューマッハは8位で1ポイントを加え、アロンソ100に対してシューマッハ90で10点差になりました。

 第14戦でフェラーリのF.マッサが初優勝を遂げます。
 2位はアロンソ、3位はシューマッハで、108対96その差は12点差になりました。

 ルノーの前半の勢いが翳ってきた印象はぬぐえません。

 第15戦で、シューマッハが優勝し、アロンソは痛恨のリタイアになりました。
 これでポイントは108対106でなんと2点差になったのです。

 第16戦でシューマッハが連勝します。アロンソは2位に入ります。
 と、いうことは、ポイントはともに116で、優勝回数でシューマッハが上回り、リーダーの座にシューマッハが着いたのです。

 開幕からトップを一度も譲らなかったアロンソがついにトップの座から陥落したのです。

 しかし、この優勝がシューマッハの最後の優勝だとは誰も思いもしませんでした。
 
 ポイントで並んだ二人が日本にやってきました。
 しかし勝ったのはアロンソで、シューマッハはリタイアしてしまいました。
 これで事実上勝負ありの状況でした。

 シューマッハはブラジルで優勝しアロンソがノーポイントであれば逆転でチャンピオンですが、それはほとんど難しい状況です。

 ブラジルでの最終戦を制したのはフェラーリのF.マッサで、地元で優勝を飾りました。
 アロンソは2位に入り、シューマッハは4位となり、アロンソが2年連続でチャンピオンになったのでした。

 この年の結果は以下のようになりました。

1 アロンソ   134
2 シューマッハ 121
3 マッサ     80
4 フィジケラ   72
5 ライコネン   65
6 バトン     56

 マクラーレンは振るいませんでしたが、ライコネンは頑張って表彰台に何度も乗りました。

 そして偉大なる皇帝M.シューマッハが引退しました。
 マカオF−3で、ハッキネンを破ってスターダムにのし上がり、メルセデスというパトロンを得て這い上がり、ジョーダンでF−1デビューし直線だけで終えたデビュー戦から電撃移籍でベネトンに移り、ピケをして「奴は速い!」と言わしめた男はF−1の世界に数々の記録を残して去っていきました。

 時代は動いていくのです。

−−−−−−−−−−−−−−

ちょっと独り言

 この年、ひとつの時代が終わりました。
 冷静に考えれば、チームメイトだったピケと中島の息子同士がF−1で走っているのだから当然でしょうね。

 1976年の記録からから書いているこの記憶の走り書きですが、何カ国の人間のワールドチャンピオンの記録を書いたのでしょうか。
イギリス、オーストリア、アメリカ、南アフリカ、オーストラリア、ブラジル、フランス、ドイツ、フィンランド、カナダ、スペインといったところでしょうか。

 イタリア人のチャンピオンは居ないですね。
 ここに日本人が入る日を夢に見ています。



 
posted by appiy at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | F-1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月02日

F.アロンソ(VS K.ライコネン) の記憶

 さて、今回の2005年のワールドチャンピオンはF.アロンソです。

 時代が動いた年だったと言える年でした。

 ついに新世代のドライバーがチャンピオンを取ったのです。

 それではシーズンを振り返ります。

 開幕戦を制したのはG.フィジケラでした。
 この年の優勝はこの1つだった彼ですが、彼の速さは定評がありついにルノーでと思わせましたが、主役はアロンソにとられます。

 第2戦から3連勝したアロンソは並じゃないことを示します。

 一番印象に残ったのは第4戦でシューマッハに終盤で追い上げられた時でした。
 彼は周回遅れを抜きませんでした。そのままシューマッハを押さえ込んで優勝したのです。

 強い印象を残すドライバーは求道者の如く、速く走ることを求めるのですが、彼は勝利を求めたと私は感じました。

 ああ、こいつ強い奴だと私はそのとき感じました。

 その後、ライコネンが2連勝します。

 そう、この二人、速いのにクレバーなドライバーなのです。
 北欧出身のライコネンはわかるのですが、ラテン系のスペイン人ドライバーでクレバーなアロンソには驚かされました。

 7戦と8戦は、ともに1つずつ星を分けてアロンソ4勝、ライコネン3勝で第9戦を迎えます。

 このアメリカGPは、悲しいGPでした。
 ミシュラン勢が安全性の理由で走らず、出走はわずか6台で、シューマッハが勝ちますが、ひどいGPになってしまいました。

 第10戦で元のGPに戻り、アロンソが勝って今シーズンは見えたかなといった感じでした。
 2位にライコネンは入りますが、ポイントはアロンソは69、ライコネンは45でした。

 第11戦でモントーヤが勝ちますが、彼はこの年安定しません。2位にアロンソが入り77ポイント、3位にライコネンで51ポイントでじりじりと離されます。

 第12戦と13戦で、互いに優勝とリタイアを分け合い10ポイントずつ積み上げましたので、87ポイントと61ポイントとなりました。

 残りは6レースです。

 第14戦をライコネンが優勝しますが、2位にアロンソが入り、95ポイントと71ポイントで、24点差で、残り5戦です。
 ライコネンは苦しくなりました。

 第15戦でモントーヤが2勝目を挙げましたが、アロンソが2位でライコネンは4位となってしまい、差が開きます。

 第16戦でライコネンは勝つのですが、アロンソは2位でポイントは111に伸ばします。ライコネンは86ポイントで、25点差で残り3戦はほぼ絶望的です。
 アロンソは自力で5ポイント取ればチャンピオンが確定します。

 第17戦で、モントーヤが勝ち、ライコネンは2位、アロンソが3位で決定しました。

 第18戦でライコネンは優勝しますが、時遅く、アロンソはクレバーに3位に入り、最終の第19戦で優勝して有終の美を飾りました。

 この年の結果は以下のようになりました。

1 アロンソ   133
2 ライコネン  112
3 シューマッハ  62
4 モントーヤ   60
5 フィジケラ   58

 驚くべきは、シューマッハのランキング3位です。
 1点でも多く取ろうという姿勢の賜物だと思います。

 この年の優勝経験者5人が上位に来ました。
 クレバーな3人が上位になったのは、時代でしょうか。

 BARが下位に沈んだのは残念でしたが、終盤のバトンは頑張りました。
 琢磨は厳しい1年になりました。

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ちょっと独り言

 最近、ホットなドライバーが少なくなったような感じです。
 速くてクレバーでないとだめなのかもしれません。

 そこまで、F−1は人間に完成度を求める域まで来たのかもしれないですね。

 でも、人が起こす奇跡のような瞬間を求めて私はまたTVを見るのです。

 
posted by appiy at 20:16| Comment(0) | TrackBack(0) | F-1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月28日

M.シューマッハ(VS R.バリチェロ) の記憶

 さて、今回の2004年のワールドチャンピオンはまたしてもM.シューマッハです。

 もう、この年は語ることがないほどの圧勝でした。

 18戦中13勝で、残る5つのうち2つはバリチェロですから、フェラーリは年間15勝。
 残るは、ルノーのトゥルーリ、マクラーレンのライコネン、ウイリアムズのモントーヤだけです。

 この年は少し違った見方でGPを追ってみることにしましょうか。

 さて、第1戦から第5戦までシューマッハが勝ちます。
 その間の2位と3位を見てみます。
 バリチェロは1,3,5戦で2位になります。
 第2戦の2位はモントーヤで、第4戦の2位はバトン(BAR)でした。
 では3位は、第1戦アロンソ、第2戦バトン、第3戦バトン、第4戦モントーヤ、第5戦トゥルーリでした。

 興味深いのはバリチェロには1度のリタイアもここまでありません。

 第6戦のモナコでシューマッハは初リタイアとなります。
 勝ったのはトゥルーリです。2位がバトン、3位がバリチェロでした。

 第7戦から第13戦までシューマッハは勝ちっぱなしでした。
 もう何もいうことはありません。

 では、第2位は、7〜9戦、第13戦はバリチェロです。バリチェロのリタイアは第12戦のみです。
 第10戦の2位はアロンソでした。第11戦はライコネン、第12戦はバトンで、勝てないまでもアロンソの速さはこのあたりに見て取れます。

 では第3位、第7戦、第8戦はバトンです。第9戦は我らが佐藤琢磨で、アグリ以来の表彰台でした。
 第10戦、第11戦はバリチェロで、第12戦と第13戦はアロンソでした。

 この年のBARは速かったですね。
 琢磨にもう少し何かがあれば、もっと好成績を挙げたのではないのかとも思います。

 さて、ここから3レース勝者にシューマッハの名がありません。
 第14戦の勝者は、ライコネンで、2位はシューマッハ、3位がバリチェロですからライコネンの一勝には価値があります。

 第15戦と第16戦はバリチェロが勝ちました。
 ここが今シーズン初勝利ですからバリチェロ君は・・・。

 第15戦の2位はシューマッハ、第16戦の2位はバトンです。
 3位はというと、第15戦がバトン、第16戦がライコネンでした。

 第17戦はシューマッハでした。2位はR.シューマッハです。このシーズンのラルフは苦労していましたので、これはおめでとうという感じです。
 第3位はバトンでした。

 最終戦でモントーヤが勝ちますが、2位にライコネン、3位にバリチェロですから、この年の表彰台に上ったのはこのようになります。

1位 シューマッハ  15回
2位 バリチェロ   14回
3位 バトン     10回
4位 アロンソ     4回
4位 ライコネン    4回
6位 モントーヤ    3回
7位 トゥルーリ    2回
8位 R.シューマッハ 1回
8位 佐藤琢磨     1回

 
 ちなみにポイントの最終結果はこのようになりました

1 シューマッハ 148
2 バリチェロ  114
3 バトン     85
4 アロンソ    59
5 モントーヤ   58
6 トゥルーリ   46
7 ライコネン   45
8 佐藤琢磨    34
9 ラルフ     24
10 クルサード   24

 上位5チームの9名が表彰台を分け合い、ポイントランキングのベスト10は上位5チームで独占となりました。

 上位5チームで唯一勝利がなかったのはBARで、上位5チームで唯一表彰台がなかったのはクルサードでした。

 フェラーリと皇帝の包囲網をものともせず、フェラーリとシューマッハは圧勝しました。

 この強さは続くのではと誰もが思ったのではないでしょうか。
 記録的な圧勝を遂げたシーズンが皇帝の最後のチャンピオンイヤーになるとは、誰も思っていなかったのです。

 ブリジストンタイヤとミシュランタイヤの優劣がこんなにも翌年はっきりと出るとは誰もまだ思いもよらない時だったのです。

−−−−−−−−−−−−−−

ちょっと独り言


 速さと強さ、この二つは少しばかり異なります。
 両方を持っているシューマッハは恐るべきドライバーでした。

 彼は、赤いマシンのチームにいろいろなものをもたらし、本当に強いチームに変えて、マシンを育て王者に君臨しました。

 かつてどれほどのドライバーでもあのチームをここまで変えることはできませんでした。

 ラウダも、プロストも、ここまでのことはできませんでした。

 彼がいた時代のF−1を見ることができた我々は、本当に幸せなのかもしれません。

 
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M.シューマッハ(VS R.バリチェロ) の記憶

 さて、今回の2004年のワールドチャンピオンはまたしてもM.シューマッハです。

 もう、この年は語ることがないほどの圧勝でした。

 18戦中13勝で、残る5つのうち2つはバリチェロですから、フェラーリは年間15勝。
 残るは、ルノーのトゥルーリ、マクラーレンのライコネン、ウイリアムズのモントーヤだけです。

 この年は少し違った見方でGPを追ってみることにしましょうか。

 さて、第1戦から第5戦までシューマッハが勝ちます。
 その間の2位と3位を見てみます。
 バリチェロは1,3,5戦で2位になります。
 第2戦の2位はモントーヤで、第4戦の2位はバトン(BAR)でした。
 では3位は、第1戦アロンソ、第2戦バトン、第3戦バトン、第4戦モントーヤ、第5戦トゥルーリでした。

 興味深いのはバリチェロには1度のリタイアもここまでありません。

 第6戦のモナコでシューマッハは初リタイアとなります。
 勝ったのはトゥルーリです。2位がバトン、3位がバリチェロでした。

 第7戦から第13戦までシューマッハは勝ちっぱなしでした。
 もう何もいうことはありません。

 では、第2位は、7〜9戦、第13戦はバリチェロです。バリチェロのリタイアは第12戦のみです。
 第10戦の2位はアロンソでした。第11戦はライコネン、第12戦はバトンで、勝てないまでもアロンソの速さはこのあたりに見て取れます。

 では第3位、第7戦、第8戦はバトンです。第9戦は我らが佐藤琢磨で、アグリ以来の表彰台でした。
 第10戦、第11戦はバリチェロで、第12戦と第13戦はアロンソでした。

 この年のBARは速かったですね。
 琢磨にもう少し何かがあれば、もっと好成績を挙げたのではないのかとも思います。

 さて、ここから3レース勝者にシューマッハの名がありません。
 第14戦の勝者は、ライコネンで、2位はシューマッハ、3位がバリチェロですからライコネンの一勝には価値があります。

 第15戦と第16戦はバリチェロが勝ちました。
 ここが今シーズン初勝利ですからバリチェロ君は・・・。

 第15戦の2位はシューマッハ、第16戦の2位はバトンです。
 3位はというと、第15戦がバトン、第16戦がライコネンでした。

 第17戦はシューマッハでした。2位はR.シューマッハです。このシーズンのラルフは苦労していましたので、これはおめでとうという感じです。
 第3位はバトンでした。

 最終戦でモントーヤが勝ちますが、2位にライコネン、3位にバリチェロですから、この年の表彰台に上ったのはこのようになります。

1位 シューマッハ  15回
2位 バリチェロ   14回
3位 バトン     10回
4位 アロンソ     4回
4位 ライコネン    4回
6位 モントーヤ    3回
7位 トゥルーリ    2回
8位 R.シューマッハ 1回
8位 佐藤琢磨     1回

 
 ちなみにポイントの最終結果はこのようになりました

1 シューマッハ 148
2 バリチェロ  114
3 バトン     85
4 アロンソ    59
5 モントーヤ   58
6 トゥルーリ   46
7 ライコネン   45
8 佐藤琢磨    34
9 ラルフ     24
10 クルサード   24

 上位5チームの9名が表彰台を分け合い、ポイントランキングのベスト10は上位5チームで独占となりました。

 上位5チームで唯一勝利がなかったのはBARで、上位5チームで唯一表彰台がなかったのはクルサードでした。

 フェラーリと皇帝の包囲網をものともせず、フェラーリとシューマッハは圧勝しました。

 この強さは続くのではと誰もが思ったのではないでしょうか。
 記録的な圧勝を遂げたシーズンが皇帝の最後のチャンピオンイヤーになるとは、誰も思っていなかったのです。

 ブリジストンタイヤとミシュランタイヤの優劣がこんなにも翌年はっきりと出るとは誰もまだ思いもよらない時だったのです。

−−−−−−−−−−−−−−

ちょっと独り言


 速さと強さ、この二つは少しばかり異なります。
 両方を持っているシューマッハは恐るべきドライバーでした。

 彼は、赤いマシンのチームにいろいろなものをもたらし、本当に強いチームに変えて、マシンを育て王者に君臨しました。

 かつてどれほどのドライバーでもあのチームをここまで変えることはできませんでした。

 ラウダも、プロストも、ここまでのことはできませんでした。

 彼がいた時代のF−1を見ることができた我々は、本当に幸せなのかもしれません。
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2008年03月30日

M.シューマッハ(VS K.ライコネン) の記憶

 さて、今回の2003年のワールドチャンピオンはまたしてもM.シューマッハです。

 ここしばらく、圧勝だった皇帝ですが、この年は激戦になります。

 ポイント制が変わったことで、優勝が少なくても十分チャンピオンになれることを示した1年でもありました。
 この年は二人のポイントの動きに注目しながら追ってみたいと思います。

 開幕戦を制したのはマクラーレンのクルサードでした。
 まずフェラーリ以外が最初に勝ったのはこの年を考えると面白くなるのではと予感させました。
 2位はウィリアムズのモントーヤが入りました。
 3位に入ったのはライコネンで、シューマッハは4位の開幕となりました。

 第2戦を制したのはそのライコネンです。2位にはいったのはハリチェロでした。
 シューマッハは6位となり、ポイントは2戦で8です。ライコネンは16でこの時点でトップとなります。
 驚いたことに開幕2連勝を飾ったマクラーレンはなんとその後1つも勝てなかったのです。

 第3戦に波乱が起き、ジョーダンのフィジケラが優勝します。
 この人は結構渋い活躍をするドライバーですね。
 2位にはいったのはライコネンで、シューマッハはリタイアします。ライコネンのポイントは24に伸びます。

 第4戦まで来てやっとシューマッハが逆襲で優勝を遂げます。しかしライコネンはここでも2位に入ります。
 ポイントはライコネンが32で、シューマッハは18となりますが、その差は14もあります。
 ちなみに皇帝を追い落とす宿命の男アロンソはルノーで健闘を続けていました。

 第5戦でシューマッハが連勝してやっと波に乗ります。ライコネンはリタイアとなりポイント差は縮まりました。
 ライコネンは32ですがシューマッハは28となって、捕まえるのは時間の問題かと思われました。
 アロンソはこのとき2位にはいって徐々に頭角を現してきましたが、この年の主役にはなれませんでした。

 第6戦、シューマッハは3連勝を飾ります。いよいよチャンピオンへ向けてダッシュが始まった感じです。
 しかしライコネンが2位に入りその差は2しか縮まりません。
 ライコネンは40、シューマッハは38です。

 ここまで完全に2強対決の様相を呈してきたのですが、このシーズンにはまだ伏兵が現れます。
 ウイリアムズ勢の台頭です。

 第7戦、ウイリアムズが牙をむきます。モントーヤが勝って反撃の狼煙を上げたのです。
 2位にはしぶとくライコネンが入り、シューマッハは3位になります。
 これで、ポイントはライコネンが48、シューマッハは44です。
 ウイリアムズ勢はモントーヤは25で、シューマッハの弟ラルフも25で並びました。
 間にいたのはアロンソの29とバリチェロで27、開幕戦を制したクルサードも25でウイリアムズ勢と並んでいたのです。

 第8戦、このレースは思えばポイントのレースだったかもしれません。
 シューマッハが優勝したのですが、2位にラルフ、3位にモントーヤ、4位にバリチェロ、5位にアロンソ、6位がライコネンでした。
 つまりここで、シューマッハが逆転でトップに立ったのです。
 しかし並べてみるとこうなります。

1 シューマッハ 54
2 ライコネン  51
3 アロンソ   34
4 ラルフ    33
5 モントーヤ  31
6 バリチェロ  31
7 クルサード  25

 予断を許さない展開です。マクラーレンとフェラーリの一騎打ちかと思われたこの年にウィリアムズが割り込み、ルノーの思わぬ健闘に、混戦模様を強く演出してきました。

 第9戦で、ウィリアムズ勢の勢いは更に上がります。
 ラルフが優勝し、モントーヤと1−2フィニッシュを決めます。この年同一チームの1−2フィニッシュは初めてです。
 3位にバリチェロ、4位にしぶとくアロンソ、5位にシューマッハです。ライコネンは無念のリタイアになりました。
 ポイントはこうなります。

1 シューマッハ 58
2 ライコネン  51
5 アロンソ   44
3 ラルフ    43
4 モントーヤ  39

6 バリチェロ  37
7 クルサード  25

 どうやら、クルサードは厳しくなって来ました。
 しかし、21点差に6人です。面白いといわざるを得ませんね。

 そして第10戦で、ラルフが2連勝をします。2戦連続の1−2フィニッシュをウィリアムズが決めました。
 3位はシューマッハです。しかし、4位にライコネンがしぶとく入ります。本当にしぶといですライコネンは。
 バリチェロが7位でわずかですがポイントを積み上げます。
 クルサードもなんとか5位で久々にポイントを積み上げました。
 その結果はこうなりました。

1 シューマッハ 64
2 ライコネン  56
3 ラルフ    53
4 モントーヤ  47
5 アロンソ   39
6 バリチェロ  39
7 クルサード  29

 まだ25点差に6人、17点差に4人です。残りは6戦です。盛り上がりは高まるばかりです。

 第11戦でストップ・ザ・ウィリアムズを果たしたのはバリチェロで今シーズン初勝利です。
 しかし2位はモントーヤで3戦連続の2位です。ラルフは残念ながらここで完全に勢いが止まってしまいました。
 3位はしぶといライコネンで4位にシューマッハ、5位にクルサードでした。
 その結果、ランキングはこうなりました。

1 シューマッハ 69
2 ライコネン  62
3 モントーヤ  55
4 ラルフ    53
5 バリチェロ  49
6 アロンソ   39
7 クルサード  33

 20点差に5人、どうやら5人がタイトル争いの権利を持っている感があります。
 首位にいるシューマッハも4戦勝てず、表彰台もその間1回で、勢いは落ちていました。
 ライコネンはしぶとくポイントを重ねてくるし、ウイリアムズ勢の勢いはまだ落ちていません。
 まだ予断を許さないシーズンでした。

 第12戦でモントーヤが勝ってタイトル争いに大きく前進します。クルサードは2位に入りますが、上位陣でポイントを取れたのはあとはアロンソが4位とシューマッハの7位だけという状態でした。
 その結果ライコネンはついに、ランキング3位にまで後退することになります。
 ランキングは3つ巴の様相です。

1 シューマッハ 71
2 モントーヤ  65
3 ライコネン  62
4 ラルフ    53
5 バリチェロ  49
6 アロンソ   44
7 クルサード  41


 第13戦で波乱が再び起こります。なんとアロンソが優勝するのです。
 ライコネンはしぶとく2位に入ります。3位にはモントーヤで、ラルフが4位、クルサードが5位、シューマッハはなんとか8位で1ポイントを積みました。
このあたりはシューマッハのしぶとさでもあります。
 混戦模様は更に混迷を深めた感があり、ランキングはこうなったのです。

1 シューマッハ 72
2 モントーヤ  71
3 ライコネン  70
4 ラルフ    58
5 アロンソ   54
6 バリチェロ  49
7 クルサード  45

 なんと、2点差に3人がいる史上稀に見る混戦です。
 これはいったいどうなるのか、神様しかわからない展開です。

 第14戦、この混戦を演出したのではと後に言われる皇帝が、ついに反撃に出たのです。
 シューマッハが優勝し、2位にはモントーヤ、3位にバリチェロ、4位にしぶといライコネンで、アロンソは8位でという結果になりました。
 アロンソとしてはここで終戦でした。

1 シューマッハ 82
2 モントーヤ  79
3 ライコネン  75
4 ラルフ    58
5 バリチェロ  55
6 アロンソ   55
7 クルサード  45

 満を持しての反撃だったのか、ここへ来ての勝利は大きく、残り2戦でシューマッハはポイント以上に勢いを取り戻したことが大きかったと思います。
 しかし、3名がチャンピオンの権利をまだ持っているのは同じです。

 皇帝の皇帝たるゆえんは、第15戦に発揮されます。
 見事に連勝を飾ったのです。
 2位にはしぶといライコネンが入り、3位にザウバーのフィレンツェンが入り驚かせましたが、モントーヤは6位滑り込むのがやっとでした。
 かくしてランキングはこうなりました。

1 シューマッハ 92
2 ライコネン  83
3 モントーヤ  82
4 ラルフ    58
5 バリチェロ  55
6 アロンソ   55
7 クルサード  45

 この時点で、モントーヤのタイトルはなくなりました。ポイントで並んでも優勝回数が足りません。
 最終戦にチャンピオンの権利を残したのはライコネンとシューマッハだけで、マジック1というところです。
 鮮やかにタイトルを取りにきた感じです。

 そして運命の日本GP、そこで勝ったのはバリチェロでした。
 彼の優勝でシューマッハはチャンピオン確定だったのですが、自身も8位でしっかりと1ポイントをとりました。
 ライコネンは最後までしぶと2位に入りました。
 こんなにもしぶとくポイントを積み上げるとは恐ろしいドライバーです。なんと2位の数は7回です。
 最終結果はこのようになりました

1 シューマッハ 93
2 ライコネン  91
3 モントーヤ  82
4 バリチェロ  65
5 ラルフ    58
6 アロンソ   55
7 クルサード  51

 この年の激戦は、ここ2年フェラーリとシューマッハの圧勝だったF-1をエキサイティングなものだと思い出させてくれました。
 そして終わってみればやはり皇帝は皇帝でした。

 しかし、ライコネンとモントーヤのパフォーマンスは見事でした。
 そしてアロンソも存在感を示した1年でした。

 新世代の主役たちによる皇帝の包囲網ができた感のある1年でした。

−−−−−−−−−−−−−−

ちょっと独り言


 クレバーなドライバーとして語られるライコネンですが、アロンソもクレバーなドライバーです。
 両者はドライビングに関しては共にクレバーなのですが、言動を見ているとアロンソのほうが過激です。

 ホットなドライバーのモントーヤはこの年が本当に大きなチャンスでしたが、彼がドライバーとして飛躍するきっかけのアメリカでタイトル争いの終焉を迎えたのは皮肉な出来事でした。

 さて、皇帝の時代はまだ続きます。本当に強いドライバーです。

 
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2008年02月24日

M.シューマッハ(VS R.バリチェロ) の記憶

 さて、今回の2002年のワールドチャンピオンはM.シューマッハです。

 フェラーリで7年目でディフェンディングチャンピオンのM.シューマッハは21世紀になって益々勝ちます。

 この年もフェラーリとシューマッハは圧勝でした。

 ランキング2位は同じフェラーリに乗るバリチェロで、フェラーリは年間17戦中15勝を挙げる圧勝振りでした。
 
 この年の興味はシューマッハがどれだけ勝つかみたいなものでした。 

 開幕戦を制したのはシューマッハでモントーヤが2位に入りました。
 そして第2戦、終わってみればシューマッハのこの年のワーストリザルトの3位になりました。
 勝ったのは弟のR.シューマッハでした。この年フェラーリ以外が勝ったのはわずかに2つで、その内の1つです。

 モントーヤはこの年勝てずに終わります。が第2戦でも2位でした。つまりウィリアムズが1−2フィニッシュを挙げたのでした。

 第3戦からシューマッハは4連勝で、完全に一人舞台になってしまいます。

 第6戦終了時点でシューマッハは54ポイントです。2位のモントーヤをして27ポイントでしたから既に倍です。

 バリチェロは序盤は不調で2位が2回だけで、12ポイントに過ぎません。

 マクラーレンはさらに悲惨でクルサードはやっと10ポイント、ハッキネンが後継者に決めたライコネンは、開幕戦の3位だけで4ポイントに過ぎません。
 ルノーで走っていたバトンの方が8ポイントですからずっと上でした。

 やっと来たトヨタは開幕戦でサロが6位で初入賞し、第3戦でも6位に入ってもう1ポイントを積み上げます。
 しかしこれだけでした。

 さて、英国F−3のチャンピオンとなってF−1にやってきた佐藤琢磨君が入ったジョーダンですが、フィジケラが第6戦で5位に入って2ポイントで、琢磨は苦しいシーズンを迎えています。

 では、第7戦、ストップ・ザ・シューマッハを果たしたのはクルサードでした。
 しかし、シューマッハは2位でした。
 
 そして第8戦でまたシューマッハが勝ちます。
 クルサードも2位に入りますが、これ以降彼は良くても3位しか取れませんでした。
 そしてバリチェロが3度目の入賞では3位で、やっと3回目のポイントゲットです。

 そのバリチェロが第9戦で勝ちます。
 しかし第10戦からシューマッハが3連勝します。

 12戦が終わった時点で、シューマッハは10勝で、2位1回、3位1回ですから、110ポイントで、チャンピオンも決まってしまっていました。
 モントーヤも頑張っていましたが、2位4回、3位2回、4位2回、5位1回で、40ポイントでした。
 
 第13戦で再びバリチェロが勝ってシューマッハは2位、第14戦で入れ替わってシューマッハが勝ってバリチェロが2位でした。

 第15戦、16戦とバリチェロは2連勝を挙げるのですが、2位は常にシューマッハです。
 もう手がつけられません。

 そして最終戦の日本GPでもシューマッハが勝って、年間11勝、フェラーリは年間15勝を挙げました。

 この年の日本GPで佐藤琢磨が5位にはいって、初ポイントを挙げます。

 日本としてはこれはいい終わり方になりました。
 
 最終結果は次のようになりました。

1位 M.シューマッハ 144ポイント
2位 R.バリチェロ   77ポイント
3位 J.モントーヤ   50ポイント
4位 R.シューマッハ  42ポイント
5位 D.クルサード   41ポイント
6位 K.ライコネン   24ポイント


 もう圧勝という言葉しか出てきません。

 もやは皇帝の強さは円熟に達してきました。
 
 しかし、ライコネンはシューマッハとの距離を大分縮めました。

 新世代の主役たちによる皇帝の包囲網が始まりつつあるのは確かです。

−−−−−−−−−−−−−−

ちょっと独り言


 シューマッハは本当に速いドライバーで且つクレバーなので、強いドライバーの象徴のような存在です。

 ホットなドライバーが起こす奇跡のような走りとクレバーがドライバーが淡々と勝利を積み上げていく両極がレースの魅力です。

 バイクの世界でも、皇帝K.ロバーツとF.スペンサーとか、W.レイニーとK.シュワンツのようなホットとクールの双方がそろっているときのGPシーンは面白いものです。
 F−1ではセナ−プロのようなものですね。

 このところホットなドライバーが今ひとつなんですよね。
 モントーヤには期待したのですが、もうひとつ届きませんでした。

 ここ最近で一番ホットなドライバーって琢磨かもしれません。
 彼には行け行けで、ずっといてほしいものです。

 
posted by appiy at 18:29| Comment(0) | TrackBack(0) | F-1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月27日

M.シューマッハ(VS D.クルサード) の記憶

 さて、今回の2001年のワールドチャンピオンはM.シューマッハです。

 フェラーリで6年目でディフェンディングチャンピオンのM.シューマッハは21世紀最初のチャンピオンになります。

 この年のフェラーリと言うよりシューマッハは圧勝でした。

 しかし、マクラーレンの二人のクルサードとハッキネンの二人のポイントを足してもシューマッハ一人に及びませんでした。
 それほどの圧倒的なシーズンを振り返りましょう。
 

 開幕戦を制したのはシューマッハでクルサードが2位に入りました。
 そして第2戦も勝って、優位に立ちます。
 バリチェロは3強の中で、唯一この年勝てなかったドライバーになりましたが、第2戦で2位にはいります。

 第3戦でクルサードが優勝して、フェラーリ対マクラーレンがこの年も対決の構図かと思われましたが、第4戦で弟のR.シューマッハが優勝します。
 シューマッハのリタイアはこの年わずかに2回で、この第4戦と12戦だけでした。

 第5戦は再びシューマッハが勝ち、第6戦ではクルサードが勝ちました。

 この時点でシューマッハは42点、クルサードは38点です。
 第4戦時点では並んだのですが、クルサードが第7戦以降シューマッハの前でゴールしたことは一度もなく、シーズンはシューマッハの一人舞台になっていくのです。

 第7戦で、シューマッハがまた勝ちます。第8戦では、R.シューマッハが今期2勝目をあげます。
 しかし、ウィリアムズのマシンは、速くても信頼性がもうひとつで、ポイントが伸びません。

 第9戦、10戦とシューマッハが勝ちます。もう止まらない感じです。

 第11戦目でハッキネンが遅すぎた1勝をあげます。しかし反撃には遅すぎました。
 第12戦はR.シューマッハが勝って、彼はこの年3勝目を上げ、勝利数では兄に次ぐ回数となりました。

 結果的にこの年は、兄弟で17戦中12戦を制することになりました。

 12戦終了時点でシューマッハは優勝6回、2位4回、リタイア2回で、84ポイントです。
 もはや勝負はついていたようです。

 第13戦、14戦もシューマッハは勝ってしまいますので、手がつけられません。

 第15戦で、モントーヤが勝ちます。
 彼はCARTで活躍して、F−1に移籍して優勝を遂げたドライバーです。

 私も彼の走りをもてぎでみましたが、アグレッシブなドライバーです。

 第16戦でハッキネンが遅すぎる2勝目をあげます。
 彼は、この年はぱっとしないシーズンになってしまいました。

 第17戦の日本GPでシューマッハが有終の美を飾って年間9勝を達成します。

 最終結果はこうなりました。

 シューマッハ   123
 クルサード     65
 バリチェロ     56
 R.シューマッハ  49
 ハッキネン     37
 モントーヤ     31

 もう圧勝という言葉しか出てきません。

 21世紀もシューマッハで幕が開きました。
 
 シューマッハを脅かす次世代のライバル達は、ライコネンはザウバーで全戦エントリーして4回入賞して9ポイント、アロンソはこの年ミナルディから全戦エントリーしてノーポイントでした。

 しかし、何かが変わり始める21世紀の第一歩だったのです。

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ちょっと独り言


 21世紀もシューマッハで始まりました。

 実際にはまだ、シューマッハの時代は続きます。

 技術の進歩はF−1の世界にもいろいろなものをもたらします。

 しかし、人が占める要素はまだまだあることをシューマッハが示してくれていたように思います。

 最後の所は人が決める、だからスポーツなのです。 
 
posted by appiy at 21:37| Comment(1) | TrackBack(0) | F-1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月23日

M.シューマッハ(VS M.ハッキネン) の記憶

 さて、今回の2000年のワールドチャンピオンはM.シューマッハです。

 フェラーリで5年目のM.シューマッハはフェラーリに来たものの常に後一歩及ばずでタイトルを逃してきました。
しかし、ティフォッシとフェラーリの悲願はこの年達成されるのです。

 この年のフェラーリのNo.2ドライバーはR.バリチェロで、彼も速いドライバーですが、明確にNo.2です。

 しかし、チャンピオンチームのマクラーレンも抵抗します。

 この年は2強のチームの4人ですべてのレースの勝者になったのです。圧倒的な2強でした。
 その証拠に表彰台に立った人間は2強の4人以外は、わずかに3人です。
 

 さてシーズンに目を向けましょう。

 開幕戦を制したのはシューマッハでバリチェロとの1−2フィニッシュでした。
 そしてシューマッハはそのまま3連勝してしまいます。

 対するマクラーレンは予選は1位でも開幕2戦で二人ともリタイアする最悪のスタートになっていました。
 しかし、第3戦で2位(ハッキネン)3位(クルサード)が入るなど、3戦目でやっと追撃体制が整いました。

 第4戦でクルサードが優勝し、やっとシューマッハを止めました。マクラーレンは1−2フィニッシュをやってのけたので、反撃ムードです。
 しかしシューマッハは手堅く3位に入ります。

 第5戦でハッキネンが今シーズン初勝利で、再びのマクラーレンの1−2です。
 4強はシューマッハ36、ハッキネン22、クルサード20、バリチェロ13ですから、フェラーリが49、マクラーレンが42でシーズンが面白くなってきました。


 第6戦でシューマッハが巻き返して優勝します。しかし第7戦をシューマッハがリタイアして、クルサードが勝ちます。
 それでもシューマッハが第8戦に勝ってしまい、どうやらシューマッハのチャンピオンかと誰もが思ったのですが、シューマッハに試練がやってきたのです。

 第9戦からシューマッハは3戦連続でリタイアとなってしまうのです。

 第9戦を制したのはクルサードで、今年のシューマッハの相手はクルサードかと思いましたが、第10戦をハッキネンが勝ちます。
 もしどちらかがNo.1ドライバー待遇になっていたら、チャンピオンの座は変わったかも知れません。

 第11戦でバリチェロが勝利し、フェラーリを救います。
 彼の優勝はこのひとつでしたがフェラーリには大きな1勝になりました。

 第12戦と13戦はハッキネンが連勝するのですが、シューマッハも手堅く2位に入りました。しかし第12戦でポイントリーダの座はハッキネンへと変わったのです。

 この時点でシューマッハは68、ハッキネンは74と6ポイント差でした。クルサードも61とシューマッハは完全に包囲されてしまいました。
 頼みのバリチェロは49で、コンストラクターズもマクラーレンに離されてしまいます。

 しかし、皇帝の皇帝たるゆえんはこの後でした。まさしく圧巻の横綱相撲が展開されます。

 第14戦にシューマッハが優勝し、ハッキネンは2位に入り、ポイントリーダの座を守ります。バリチェロとクルサードはリタイアとなります。

 ポイントはハッキネン80、シューマッハ78、クルサード61、バリチェロ49となります。

 第15戦もシューマッハが勝ちバリチェロが2位、ハッキネンは無念のリタイアとなりクルサードは5位でした。
 その結果、ポイントはシューマッハが逆転し首位に返り咲いたのです。

 ポイントは次のようになりました。
 シューマッハ88、ハッキネン80、クルサード63、バリチェロ55 

 コンストラクターズもマクラーレン143、フェラーリ143と並びました。

 残る2戦。8ポイントのリードを持ってシューマッハ日本に来ました。
 そして優勝を飾ったのです。

 その結果、シューマッハのチャンピオンが決まりました。2位にハッキネン、3位にクルサードが入りましたが、バリチェロが4位になってポイントはこうなりました。

 シューマッハ98、ハッキネン86、クルサード67、バリチェロ58

 コンストラクターズもフェラーリが156となり153のマクラーレンを引き離します。

 しかし、コンストラクターズタイトルは最終戦にもつれ込みました。
 そして16戦もシューマッハが優勝し、クルサードが2位に入りますが、3位にバリチェロ、4位にハッキネンとなり最終的には次のような結果となりました

 シューマッハ108、ハッキネン89、クルサード73、バリチェロ62

 フェラーリ170、マクラーレン162

 シューマッハ圧巻の4連勝でフェラーリ移籍後、5年を要してやっと悲願のタイトルを奪還しました。
 フェラーリとしては1979年のJ.シェクター以来のチャンピオンの誕生でした。

 A.プロストも成し遂げられなかったフェラーリでのチャンピオン獲得を彼は成し遂げたのです。  


 20世紀最後の年、ミレニアムの年に最後のナショナルカラーを背負ったマシンが歴史に残ったのです。
 

−−−−−−−−−−−−−−

ちょっと独り言


 2000年はフェラーリとシューマッハの年になりました。
 1979年にJ.シェクターがタイトルを獲得して以来です。
 コンストラクターズも1983年にアルヌー、タンベイを要して以来だと思います。

 1977年の記憶から辿って書き始めましたが。
 このときからあるチームで2000年時点でも残っているのは、フェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズだけです。
 ちなみにアロウズは1978年からでそれを入れても4チームです。

 時代は移り変わりました。

 21世紀の最初2000年代の主役たちがこれから出てきます。
 しかし皇帝は壁となって立ちはだかるのです。
 
posted by appiy at 02:11| Comment(1) | TrackBack(0) | F-1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月02日

M.ハッキネン(VS E.アーバイン)の記憶

 さて、今回の99年のワールドチャンピオンは2年連続でM.ハッキネンです。

 フェラーリで4年目のM.シューマッハは満を持してチャンピオンを狙いに行きます。
 この年のフェラーリも速いマシンでした。

 しかし、チャンピオンチームのマクラーレンが立ちはだかりました。

 この年は2強以外のチームからも優勝者が出て面白い年でした。

 対して不幸を背負ったのはM.シューマッハでした。

 さてシーズンに目を向けましょう。

 開幕戦を制したのはE.アーバインでした。
 2位にはいったのはジョーダンのフレンツェンでした。
 ここで、なんとなくこの年の予感を感じました。

 第2戦はチャンピオンのハッキネンが勝ちました。

 第3戦からシューマッハが2連勝で、ついにシューマッハがフェラーリでチャンピオンを取る年がきたのかと思われました。
 しかし、第5戦からハッキネンが2連勝を飾り、因縁のライバル同士の対決ムードが高まります。

 第7戦ですごいことが起きました。
 ジョーダンに乗るフレンツェンが優勝したのです。

 ところで、フェラーリのNo.2だったE.アーバインですが、意外に地味でポイントは稼いでいますが、せっせとNo.2ドライバーに専念していました。

 そして第8戦のクルサードが勝つのですが、シューマッハがクラッシュして戦列を離れることになってしまったのです。

 急遽チームメイトにM.サロを迎え、No.1待遇になったのがアーバインです。
 第9戦にアーバインは勝って反撃ののろしを上げます。
 第10戦では最後にサロにトップを譲ってもらって2連勝を達成します。
 これで彼のポイントは52となり、44のハッキネンを抜いてトップに立ちます。

 ハッキネンも反撃に出て第11戦で優勝し、4ポイントを稼いだアーバインに2ポイント差に詰め寄りました。

 第12戦でクルサードが優勝し、ハッキネンは2位、アーバインは4位で、1ポイント差でハッキネンがアーバインの上に出ました。
 この12戦でフレンツェンが再び勝って実力を証明しました。

 次の、第13戦でハッキネンはリタイアとなり、1ポイントを稼いだアーバインが並びます。

 残るは3戦で、二人はポイントで並んでいました。勝ち星の差でハッキネンが1位となっています。

 第14戦でスチュアートに乗るハーバートが優勝すというサプライズがあり、アーバインはリタイアしてしまいます。しかしハッキネンは5位に入り2ポイントを積み上げました。

 そして最後の2戦はシューマッハが復帰し、最強のドライバーのサポートを受けてアーバインが反撃に出ます。

 第15戦のマレーシアでシューマッハに守られてアーバインが優勝し、3位になったハッキネンをポイントの上で逆転します。
 アーバインは70、ハッキネンは66で、運命の日本GPが来たのです。

 ここで、ハッキネンがチャンピオンの強さを発揮し、優勝します。
 アーバインが2位でも同点ですが勝ち星の差でハッキネンがチャンピオンです。

 結局アーバインは3位に終わり2年連続でハッキネンがチャンピオンになったのでした。

 日本のトップフォーミュラー経験者のワールドチャンピオンは夢と消えました。
 
 そしてフェラーリの悲願はこの年も達成されませんでした。

 20世紀最後の年、ミレニアムに向かって皇帝とフェラーリの戦いはまだ続くのです。
 

−−−−−−−−−−−−−−

ちょっと独り言


 1999年というのは、ノストラダムスの予言の年ですね。
 フェラーリというチームはコンストラクターズタイトルは途中でありましたが、1979年まで遡らないとワールドチャンピオンを輩出していません。

 その21年の間にフェラーリのライバルチームがいくつも消えていきました。
 いにしえの時代からナショナルカラーを背負ってマシンが走っていたころからイタリアンレッドのマシンがF−1のフィールドにはいました。

 見続けられる限り見守っていきたいものです。
 
posted by appiy at 02:48| Comment(3) | TrackBack(0) | F-1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする